2014年5月14日水曜日

「戴きます」

最近、息子の偏食がひどい。
せっかく作ったおかずを食べないで残すことがしばしば。
なんだか悲しくなってしまう。

一昨日の日曜日は母の日。
友達は「娘に作ってもらった」とか「旦那が用意してくれた」という夕飯をフェイスブックの写真でアップしているのに反し、私が自分で作った。
息子のピアノの発表会でバタバタしていたにもかかわらず、3人で楽しい夕食を食べよう~と思って料理した。

なのに、息子は「嫌いだから要らない。」と言って残す。
箸もつけない。
お皿も片付けずにテレビのある部屋に立ち去った。

それにカチン!ときた私。
楽しい夕食には程遠い我が家のお粗末なディナータイムに悲しくなってしまった。
「ちょっと、こっちにおいで。」と息子を呼ぶ。

「何~?」とふてくされ顔でやってくる。
きっとまた怒鳴られるんだろう・・と思っている顔。

息子を隣に座らせて「ねえ、“戴きます”・・ってどういう意味かわかる?」と聞いた。
「これからご飯を食べるってことでしょ。」と表情を変えずに呟く息子。

「おおまかにはそうやけど、、実際にはその食べ物の命を戴くってことやで。」と言った。
「トマトの命、大根の命、豆腐は大豆で作られているから大豆の命。牛肉だと牛の命。その命を食べることによって身体の中で受け取って、血を作ったり、骨を作ったり、身体を動かしたり出来るんよ。」

「あ~そうか。」とちょっと興味ありげに頷いた。

「食べる事によってその命を引き継いでいるんやから、ありがとうって感謝して食べないと、その命に対して失礼やと思う。それが本当の意味の戴きますやで・・」と言った。

「じゃあソイミルクは、、大豆。大豆さん、ありがとうって思いながら飲むよ。」と答える。

「1つ1つの命が身体のいろんな部分を作ったり、動かしたりするんやから、あれ嫌い、これ嫌いって食べないとどうなると思う?」

「身体が大きくならないの?動かなくなるの?僕、好き嫌いしないで食べる。ごめんね、ママ。」と抱きついてきた。

「じゃあ、ちゃんと食べる?」
「うん。ありがとうって思いながら食べるよ。」と言って夕飯を再開し始めた。

その後「ママ、いつもご飯作ってくれてありがとう。」と言って、母の日のプレゼントに私の似顔絵を描いてくれた。



関連記事;感謝の心