2012年12月31日月曜日

2012年 大晦日

日本はもう新しい年が明けてお屠蘇気分を満喫しているようだが、カリフォルニアは今、大晦日の夕方。
朝からお節料理や年越し蕎麦のお出汁、夕方の友達とのディナー会に備えてつまみ系を作っていた。
ここ数年は友達と、前菜をつまみに「飲み」の体制で紅白を観るのが習慣となっている。
旦那と子供は退屈して、他の部屋で別の番組を観たりゲームをしたりするが、私達日本人は紅白を観ないと年が越せない。
(日本でなら紅白に変わる面白い番組が目白押しなんやろうけど・・)

2012年もあと数時間で終わるのか・・と思うと、なんだかホッとした気分だ。

スピリチュアル系の人間ならご存知かもしれないが、マヤンカレンダー(マヤ暦)が2012年の12月21日で終わっていると一部でパニックになっていた。
各地で世界終結論が飛び交う中、アメリカ政府はそれに相対して12月の始めに「そんな理論はデマだ。」と報道したり。。。

地球が終わるの?
ありえないと思いながらも、心のどこかで不安だった私。

10年以上前に私もいろんなチャネラーから「2010年から2012年は地球が大変動の時期に入るので、地殻変動、悪天候、災害が起こる。」と予言されていた。
日本も安全ではない、、と言われたり、カリフォルニアにも洪水が起こる、、と言われたりして、どこに住んだらええの~と思ったこともある。
どこに住んでも一緒なのかもしれんけど・・

1年半前にネイティブアメリカンのメディスンマンと地球の変動について話した時に、2012年にカリフォルニアも水の被害が来るかもしれない、と言うことを聞いた。
それは津波だったり、雨による水害だったり、原因はわからないが、準備はしておけ、、と言われていた。
もし2012年の終わりまでに何も起こらなければ、それは地球の波動が変わったという事なのだと彼が呟いた。
人々の意識が変わることによって、地球の波動が上がり、1つ上のレベルにシフトする、、と説明された。

「ホピの予言」にも書かれているように、地球が二通りの運命を背負っていて、今がちょうどそういう転換期なのかなあ~とメディスンマンの話を聞きながら考えたのを覚えている。

転換期が過ぎたのか、波動が変わったのか、私にはよくわからないが、、、
とにかく、2012年の最後の一日を平和に過ごせると言うのは、ありがたい事だと思う。


私にとってこの2012年は、仕事を辞めて自分の中での区切りをつけた年になった。
また新たな出逢いや再会があり、繋がりの糸が広がった年でもあった。

11月にこのブログを書き始めて2ヶ月。
もっといろいろ書きたいことが山ほどあって下書きに書き溜めていたり、友達からもこういう事を教えて欲しいとリクエストが来たり、いろんな友達から「読んでるよ~」と励まされたり。。
今、書く楽しさを味わっている。

私のつふやきブログを読んでくださって、ありがとうございます。
来年もいろんなことを書いてみたいと思っています。

Happy New Year!
2013年が良い年になりますように。



2012年12月30日日曜日

ホメオパシー

14年前、ホメオパシーと言う言葉を初めて聞きました。
旅行先のマウイ島でアメリカ人チャネラーとの個人セッションがあったのです。
そのチャネラーはクライアントの身体のエネルギーを読んで、その人に必要なハーブ、ミネラルなどを告げる方。
弱っていた私の身体には何種類かのミネラルの「ホメオパシー」が必要だと言われました。

「ホメオパシーって何・・?」
急に興味が湧き、何冊も本を読んでみた。

ホメオパシーは200年以上前にドイツで発見されたヒーリングシステム。
自然界に存在する植物、動物、鉱物などの物質と水の波動を記憶させた乳糖の粒がレメディ=薬となります。
似たものが似たものを治すという類似の法則を利用して、身体が本来の健康状態に戻るのを助けるのです。

イギリスでは王室御用達のホメオパス(ドクター)がいます。
一般市民も症状によっては保険が適用されるそう。
発祥地ドイツを始め、ヨーロッパ諸国でも認識度がかなり高いということです。
アメリカではドラッグストアーやナチュラルヘルスストアーに行くと、だいたいお店の一角に置いてあります。


ホメオパシーを知って何年か経った頃、大阪の友達がハーネマンアカデミーと言う4年生のホメオパシーの学校に通いだしました。
彼女からもいろいろと教えてもらいました
私は渡米し、こちらで英語の本を読んだり、ドラッグストアーで何種類ものレメディを買って試してみました。
風邪の症状や、目まい、不眠症、腹痛などに効くので驚いた私。
その後妊娠し、風邪などの体調不良の時にも胎児に影響なく摂れると言うので重宝しました。
出産時も何種類かのレメディを病院に持ち込み、陣痛の痛みを和らげ、リラックスするのに役立ったのです。

出産後は産後うつ病にかかってしまった私。
ドクターから処方された抗うつ剤を飲んだが、とたんに目がグルグル廻って吐き気を及ぼし、立っていられなくなりました。
こんな薬はもう飲めないとゴミ箱に捨て、大阪の友達にSOSのメールを書き、私に必要なレメディを処方してもらいました。
処方されたレメディをWhole Foods で買ってきて、飲むとだんだん欝がマシになってきました。

その時、私にはケミカルな薬よりもホメオパシーが合っているのだと再認識したのです。
半年後に大阪に帰省した時にハーネマンアカデミーの学長・永松先生のオープンセミナーがあり、友達と一緒に参加して、新たな情報や知識を得ました。
インフルエンザに効くレメディもあると言うことを知り、びっくりしました。

息子には乳児の頃からホメオパシーをあげています。
特に歯が生える時の痛み、風邪、下痢、熱、結膜炎、打撲などには特定のレメディが彼には合っているようで、大事に至る前にケロッと治ってしまいます。
予防接種の「毒だし」効果もあります。
本当は息子には予防接種を受けさせたくないけれど、それでは学校に通えないので、規定の接種後にレメディを飲ませて害を軽くしています。
インフルエンザの予防接種は受けさせません。
インフルエンザのレメディを冬になると飲ませています。

普通、薬は苦いものなので子供は嫌がりますが、これは乳糖の粒で甘く、薬をあげると言うと息子は金魚のように口を開けて待っています。

旦那はあまりホリスティックなものを信用しませんが、それでも風邪の初期症状=悪寒がする時に、24時間以内に摂ると効くと言うレメディをあげたらケロッと治ったので驚いていました。

ここ数年間は家族3人とも大病をしたことがありません。
風邪をひいても病院には行かずレメディを飲んで治ってしまいます。

アメリカでは医療費が高いのでホメオパシー様様!と感謝しています。


2012年12月27日木曜日

Nutcracker

毎年12月になるとスタートするサンフランシスコバレエ団のくるみ割り人形の公演。



息子が3歳の時に初めて家族3人で観に行った。
退屈するかと思いきや、真剣に、かぶりついて観ていた息子。
「Nutcracker」が大好きになり、チャイコフスキーのくるみ割り人形のCDを3ヶ月間毎日車の中で聴いたり、くるみ割り人形の公演DVDを目にタコが出来るくらい毎日観ていた。

それからずっとウチの恒例行事となった12月のバレエ観賞。
他のバレエには興味がなく、これだけが特別らしいのだが、息子にとっては外せないらしい。

8月になるとチケットが売り出される。
リピーターは一般発売の前にチケットが買えるので、夏になると息子に「12月のNutcracker、今年は行くん?」と聞いてみる。
「もちろん~」と言う答えが今年も返って来た。

1ヶ月近くの公演日程の中には「ファミリーパフォーマンスディ」と言って先着200人の子供達にお土産やクッキーをくれたり、バレリーナ達との写真撮影が出来る特別な日が設けられている。
普段はその特別な日を狙ってチケットを買うのだが、今年は私が12月の前半を日本で過ごした為に日程的に無理だった。
仕方がないのでクリスマス後の日程で検索し、前から2列目のど真ん中の席が4つ空いている日を選び、友達の分も一緒に購入した。

昨日、友達親子と4人で観に行ってきた。
8歳の息子と友達のSくん。
2人ともスーツを着て、ネクタイを締め、凛々しい姿だ。

早めにサンフランシスコに行って、オペラハウス近くのパーキングに車を停め、近くのレストランで晩御飯を食べる。
公演が7時からなので4時ごろレストランに入った。
まだお腹はすいていない。
友達とワインを頼み、クラブケーキとサラダをおつまみに飲み始めた。
息子とSくんはハンバーガーをかじりながら2人で内緒話をしたり、本やゲームで遊んでいる。

時間が余りすぎるかなあ~と思ったのに、調子に乗って飲んでいたら開演の時間が迫ってきた。

劇場に入るとワインやシャンパンを片手に飲んでいる人達、お土産のくるみ割り人形を買っている人達、、、どの人もドレスアップして年末の夜を楽しんでいる。
子供達も沢山いて、ドレスやスーツを着て大人の仲間入りをしている。
サンフランシスカンにとってこのショーは特別な行事なのだと改めて感じさせられる。





私達が座った席はオーケストラのすぐ後ろなので、楽器や演奏者がよく見えた。
またダンサーからも近いので表情や息遣いが手に取るように判る。
舞台全体が一度に見渡せないので、ステージを一瞬で把握することが難しいが、息子も友達もとても満足してバレエに没頭していた。

もちろん、私も。。。

わずか数分のステージに、プリマドンナ、プリンシパル級のダンサーが入れ替わり立ち換わり登場して息を呑む踊りを披露する。
バレエをあまり知らない私だが、感動の連続だった。

フィナーレ近くになると感動して胸がいっぱいになり、涙が溢れそうになった。
隣の息子がそっと私の手を握り「ママ、今年も連れてきてくれてありがとう。」と言ってくれた。
私も「一緒に観てくれてありがとう。」とお礼を言った。

息子がいなかったら毎年は来ていないかもしれない。
8月にチケットを買うときは「今年で最後かなあ・・」と考えながら毎年購入する。

でもこんなに感動するバレエは、来年も観に来たい。
やっぱり、、ええわあ~


12月のサンフランシスコ。
オペラハウスの向かい側のシティホールはまだクリスマスライトアップで「おとぎの国の世界」になっていました。










2012年12月25日火曜日

クリスマスプレゼント

1ヶ月前に、「サンタさんにママの分のおまんじゅうもリクエストしてあげる~」と言ってた息子。

その言葉をすっかり忘れてしまっていた。

私が日本から帰ってきて3日後、旦那に「サンタクロースへの手紙はどうなったん?」って聞くと、「知らんで~」と言う返事。
私は12月17日に日本から帰って来たんやから、それまでに息子に手紙を書かしてプレゼントの手配をしておいて・・と頼んでいたのに。
何も進行していない。

12月20日の朝、息子に「サンタさんに今日中に手紙を書かないともう手遅れでプレゼントはもらえないと思うで~」・・と伝えた。
学校に行く前にあわてて手紙を書き、North Pole に送って、、と頼む息子。
速達で送ったら間に合うかも・・と車の中で告げると、安心したように学校に出かけていった。

息子を学校にドロップした後、そっと手紙を開けると英語でゲームをリクエストしている。
おまんじゅうに関するは記載なし。

(でも、もう日本で買ってきたで・・・)

慌てていたからしょうがないか~

即効でアマゾンでゲームをオーダーする。

この数日間はラストミニッツショッピング・・で義理パパのプレゼント、旦那へのプレゼント、息子のクリスマスソックスに入れるプレゼントなどを買いに行く。

親戚一同のパーティは今回は前菜担当なので、チーズやディップソース、チキンパテ、クラッカー、サラミ、ミートボール、野菜、果物なども仕入れる。
日本で2週間のブランクがあっただけに、追い込みであちこちを走り廻った。

バタバタで迎えたクリスマスイブ。
幸いにも、サンタからの息子へのプレゼントは間に合った。
息子が寝た後に、使っていないラッピングペーパーを引っ張り出して来て包む。
筆跡を変えてラベルを貼る。
包んだ後も直前までひたすら隠した。

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昨夜、1時過ぎにサンタが来たようで、、、プレゼントを置いていった。
クリスマスソックスの中にはおまんじゅうも入れてくれていた。

今朝、息子が恐る恐るクリスマスツリーに近づいて行き、サンタが来たらしい気配を感じると飛び上がって喜んでいる。

サンタ用のクッキーのテーブルを見て、プレゼントの束を見つけて踊りだした。
靴下を覗き込んで、おまんじゅうを発見して、また飛び上がった。
「わっっ、僕のにも、ママのにも、おまんじゅうが入っている!」とびっくりしている。

「でも、、なんでサンタさん、わかったのかなあ~ おまんじゅうの事・・」と私に聞いてきた。

コーヒーを煎れながら、「なんでやろねえ~~」・・と答えた。

その後、ツリーの下にある旦那へのプレゼント、私へのプレゼントを開けて、朝食を食べた。
サンタさんが今年も来てよかったね~と息子と話した。




2012年12月24日月曜日

クリスマスイブ

日本と17時間の時差があるカリフォルニアは今日がクリスマスイブ。
もう少しで真夜中になる。

夕方から親戚一同のファミリーパーティに参加するために1時間車を走らせてイーストベイまで行って来た。
アリゾナの従姉妹家族も来ていて、30人ほどの賑やかな集まりとなった。

私は前菜を持って行き、到着するなりワインを開けてみんなと乾杯をする。
パーティをホストしているサンディの息子が去年大学を卒業してワイナリーに勤めている。
そのワイナリーのいろんな種類のワインを持って来て、味見させてくれた。
キッチンカウンターがテースティングルームに早変わりし、みんなでいろいろと飲み比べた。
ゲストが持ってきたワインもあれこれ飲んでみた。
息子は子供グループに入って、レゴで遊んだり廊下でサッカーをしてはしゃぎまわっている。

ディナーはビーフステーキとローストチキン、サラダ、パスタ、野菜ディッシュ、ガーリックブレッド。
叔母様、叔父様と近況を話したり、義理パパに日本の事を報告したり、姪っ子に彼氏のことを聞いたり、従姉妹の奥さんと子育ての相談をしたり、と楽しいひと時を過ごした。

ディナーが終わると、子供達がツリーの下に置かれたプレゼントを各自宛てに配る。
全部配り終わったら一斉にプレゼントを開ける。
その後もらった人にお礼とハグをしに行く。
30人がプレゼントを開けるので、部屋中がラッピングのゴミだらけになる。
それを掃除して、デザートを食べ、お開きとなった。

帰り道、車の中で息子が「サンタさんは何時に来るの?」と聞いてきた。
旦那が「もうそろそろカリフォルニアに着く頃かも・・」と答えると、夜空を見上げてサンタを探している。
「あ、、光が見えた!」なんて本気で叫んでいる。
ほんまかいな~~?

家に着いて、ツリーの側にサンタさん用のクッキーとミルクを置く。

「早く寝ないとサンタさんが来ないよ。」と言っても、「来るまで待ってる。」と頑張る息子。

あと10分で真夜中だ。
ワインをかなり飲んだので、もう、私、眠たいんですけど~~

でも寝るわけにはいかない。

きっと、息子は明日の朝は誰よりも早起きして、ツリーの側のテーブルを覗きに行くに決まっている。

眠気覚ましにこれを書いて、時間を稼いでいる私。
我慢比べやなあ~



 

メリークリスマス!


2012年12月23日日曜日

電磁波と発がん性の関係

携帯電話。
どこに「携帯」していますか?

ストラップを着けて首からぶら下げる人。
胸ポケットに入れる人。
お尻ポケットに入れる人。
カバンに入れる人。

私は10年以上前から電磁波の影響を心配して、なるべく身体から離すようにしている。
持ち歩くのはカバンの中。
電話に応答する時も脳への影響を懸念して、耳からなるべく離すか、スピーカーフォンにして話す。
ちゃんとしたデーターは出ていなかったが、自分の身体が嫌がるのでずっとそうしていた。


1ヶ月ほど前のベイエリアのニュースで、乳がんと携帯電話の関連性が指摘されたと友達から聞いた。
(そのリンクを探してみたが、見つからない。)
そのニュースによると、最近若い女性の間で乳がんの罹患率が増加しているそうだ。
罹患した人の生活態度を調べると、携帯電話を胸ポケットに入れている人が多く、その携帯電話と同じ位置に乳がんが発見されたという話だった。

ええ~~怖っ、、と言う思いと、やっぱり・・・と言う思いが混ざりあってその話を聞いた。

電磁波の影響をもっと調べてみようと思い、あるサイトにたどり着いた。

日本語ウェブサイト・電磁波ドットコム
http://den-jiha.com


このサイトによると、、、

電磁波がもたらす影響は発熱効果だけではないことが、徐々に明らかになってきた。
それは非熱効果といわれ、その効果でとくに深刻な問題・・がんや白血病、遺伝障害などに及んでいる。

携帯電話などのマイクロ波や、送電線(50Hz・60Hz)などの超低周波も発ガン性の可能性があることが判ってきた。
と言う事は、問題の電磁波というよりも、すべての電磁波が人間の体にとって悪影響を及ぼす可能性があると言うことらしい。

電磁波は防御不可能な放射線で壁も通過してしまう。
部屋を照らす電灯からも電磁波が発散されている。
特に影響力が大きい電子レンジの使用に関しては、壁があるから大丈夫、床や天井があるから大丈夫・・と安心していられないのだと初めて知った。

コンピューターの使用も最小限度に留めておかないと、脳への影響が懸念される。
特に子供は大人よりもその影響を受けやすいと言う。
細胞分裂が活発な時期の子どもや赤ちゃん、胎児ほど影響が大きくなる。
妊娠しているお母さん方も注意が必要であり、子供に関しては親が気をつけないと何年後、何十年後には大変なことになるかもしれない。
電磁波から身を守るためには、近距離での使用、長時間の使用を避けることが最大の防御となると言う。
息子のコンピューターの使用時間の制限、電子レンジの使用拒否(でも、まだたまに使ってしまうけど・・)、寝るときは部屋中のコンセントをなるべく抜く、、などしているが、これがどこまで「防御」となっているのか。。。

電磁波、目に見えない物体なだけに、身体にどんな影響を及ぼしているのか想像出来ない。
生活がどんどん便利になっていく反面、怖い世の中やわ~・・と複雑な気分になった。


2012年12月20日木曜日

ナンタケットバスケット・クラス

アメリカ東海岸のニューイングランド、マサチューセッツ州にある大西洋沖、約50 kmに浮かぶ小さな島、ナンタケット島。
このナンタケット島が発祥地で、藤で編まれた伝統工芸品の籠が「ナンタケットバスケット」と呼ばれています。

世界で屈指の捕鯨基地であったこの島で、地元のインディアンの籠と鯨の油を入れる樽を作る技術から生まれたのがこのバスケットの由来ですが、今日ではニューヨーク社交界、セレブ、上流マダムのリゾートバッグとしても有名になりました。
蓋付きのバッグは10万~20万円、蓋なしの籠でも5万円ぐらいからのお値段が付いている高級品です。


「ナンタケットバスケット作製を教えている。」・・と言う方のお宅に偶然遊びに行く機会がありました。
ディスプレイされている籠たちを眺めていると、「作りたい~!」と言う思いが湧きあがり、クラスに入れるようにお願いしてみました。

11月にその先生のお宅にお邪魔して、プライベートで手取り足取り、バスケットの土台作りから教えていただくことに・・。
モールドと言う型に嵌めて、籐で縦のラインを作ります。
そのラインを横にジグザグ状に違う籐の紐で編んでいくのです。
簡単な作業ですが、力の入れ方、籐の締め方などにコツがあり、私はモタモタしていました。
先生が慣れた手つきで見本を見せてくれますが、そう簡単には行きません。
取り合えず横のラインは家でやってくることになり、1回目のクラスは終了。
ここまででも3時間ぐらいはかかっています・・

毎日、時間を見つけては家で「編む」作業をしました。
単純作業なので、一種の瞑想状態になります。
一心不乱で編むことに集中。

2回目のクラスはモールドを外し、籠の枠を嵌めこむ作業。
枠を嵌めたらそれに沿って籐を編みます。
字にすると簡単ですが、これだけでまた3時間が経ちました。
最後まで編めなかったので、先生のお宅に作品を残して帰ることに・・。

この間に先生が最後まで編み終え、ニスも塗ってくださいました。

3回目のクラスはこの籠に取っ手をつけて、底の仕上げをし、名前を焼き付ける作業。
これには1時間もかかりませんでした。
めでたくデビュー作が完成。


自分で作った作品。
すごく愛着が湧き、大切に使いたいと思います。
1つ目を作ったら、また次・・・って欲張りにもなってきました。
来年もしばらく籠作りに嵌りそう~

2012年12月18日火曜日

帰還

小雨のサンフランシスコ空港に到着。
旦那が迎えに来てくれて、ハイウェイ380~280を抜けて帰路に着く。
ハイウェイ280は普段はガラ空きなのに、しばらく走ると渋滞になった。
事故~~?
15分ほどダラダラ走るとポリスカー3台が事故車両の処理をしているところだった。
事故現場を見ると大型トラック同士がぶつかったようで、そのうちの1台は車の前半分がぐちゃぐちゃに潰れていた。
時差ボケでボーっとしていた私は突然目が覚めたようにそのトラックを見つめる。
「Oh my God ! 人生いつどうなるかわからん・・・」
、、と旦那が呟いている。

ほんまやな~

家に着くとお昼だった。
旦那が今日のスケジュールを伝えてくれる。
2時半に学校のお迎え。4時に息子をジムナスティックに連れて行く。6時半から学校のコーラス部のクリスマスコンサート。
帰ってきたばかりなのに、もう日常に戻らなあかん。。。

機内であまり眠っていない私はこのスケジュールを全部こなす気力はない。
荷物の整理もしたい。
旦那に学校とジムナスティックに行くことを頼んだら快く引き受けてくれた。

本当は仕事が忙しく、それどころではなかったみたいだが、私の心情を察して仕事を後回しにしてくれた。
感謝!

シャワーを浴びたり、お土産を出したり、スーツケースを片付けているともう夕方の5時。
息子がジムナスティックから帰ってきた。
2週間ぶりに見る息子の顔。
「ママ~、逢いたかった~」と飛んできた。

「お土産があるで~」と言って、実家の近所の甘党屋さんで買った大福と三色団子を見せた。
「やった~~」と顔が輝く息子。
「食後のデザート!」と言って、晩御飯を食べた後に団子にかぶりつき大福もぺロリと平らげた。

他のお饅頭も買ってあるけれど、日持ちがするものは隠してある。
そうでないと一度に全部息子が食べてしまいそうだ・・・
実際、前回は6個の大福を一気に平らげた彼。

時計を見ると6時前。
着替えて学校の講堂まで連れて行かないといけない。

このコンサートは毎年この時期に学校の吹奏楽部とコーラス部が共同で行う演奏会らしい。
9月からこの学校に転校し、コーラス部に入った息子は今年が始めての参加だ。

講堂に到着すると会場はほぼ満席状態で、オーケストラの演奏を待っていた。
舞台にはオーケストラ用の椅子が設置されてある。
コーラス部はこの演奏の後なので息子と旦那と3人で演奏を聴くことにした。
5~8年生の有志の生徒が演奏しているのだが、結構上手だった。
クリスマス楽曲の演奏に癒されて、眠ってしまいそうだった。

途中で息子が退席して、コーラス部の出演に備える。

オーケストラの演奏が終わり、舞台がアレンジされてコーラス部隊を迎える。
息子はニヤニヤしながら舞台に上がってきた。
このコーラス部は3~8年生で構成されている。
入部して3ヶ月余りだが、今月初めに市のクリスマスイベントにみんなで参加し、自信を持ち始めた息子。
「ジングルベル」や「We wish you are Merry Christmas」などクリスマスソングを10曲ほど歌う。
子供達の可愛い歌声が優しい気持ちにさせてくれ、心地良い気分になった。

幸せな気持ちになりながら、ふと、先日コネチカットで起こった悲しい事件を思い出した。
20人の子供を含めた26人の命が一瞬の内に銃で消されてしまった、学校で起こった惨事。
同じ年頃の子供を持つ親として、心臓がえぐられるような痛みを感じた。
ご親族の心境を思うと悲痛な思いで涙が溢れそうだ。

コーラス部の歌声を聴きながら、こんなことは二度と起こってはならない事だと、やるせない気持ちになった。
心の中で、そっと、亡くなった命とご遺族にお祈りを捧げる。

コンサートが終わり、笑顔で私の元に走ってきた息子。
「上手やったねえ~」と褒めながら、息子を力いっぱい抱きしめた。
息子は「ママ、帰ってきてくれてありがとう。」と耳元で囁いてくれた。

人生、いつ、どうなるかわからんけど
今、目の前にいる掛けがえのない存在に、あるったけの愛を注ごう・・・

そう思った夜でした。

2012年12月17日月曜日

鞍馬寺

2週間の滞在の最後の一日。
午後から予定がぽっかり空き、何をしようかと考えた。

5分後には出かける用意をして、京阪電車に飛び乗り1人で京都に向かっていた。
目的地は鞍馬。
他の場所は何も思い浮かばなかった。

帰省する度に行く場所だ。
この夏にも2回、友達と訪れた。
また行ったん?、、と言われそうだが、私にとっては特別な場所だ。

京阪・出町柳駅で叡山電車に乗り換え30分。
終点が鞍馬駅。
午後の遅い時間になっていたので、ケーブルに乗り山頂のお寺に向かう。

最近はパワースポットとして有名になってきたので週末は結構混雑する。
私が行ったのは午後も遅かったのであまり人はいなかった。
本堂の前に、チベットの磁場の高い場所と繋がっている地点がある。
いつもならここに長い列が出来ていて、立つ順番を待たなければならないが、今回は並ばなくてもよかった。
そこに立ってしばし瞑想。
頭が締め付けられるようなエネルギーを感じた。



本堂に入り、お線香を立て、お参りをする。

このお寺に初めて来たのは16年ぐらい前のことだ。
レイキヒーリングを勉強している時に、マスターが連れて来てくれた。
レイキヒーリング発祥の地、鞍馬。

その由来を諭すかのように、レイキヒーリングのシンボルや3つの御神体が人知れずひっそりと祭られている場所がある。
毎回ここに来て、お祈りと瞑想の時間を過ごし、癒しのエネルギーをいっぱい戴いて下山する。

今回の帰省で、友達とのお付き合いの仕方にすれ違いを感じ、1人でやるせない気持ちになっていた。
人間独り独り、生き方や考え方が違うので、自分の物差しで他人を測ったり、自分と同じ世界観を押し付けるのは間違っているとわかっている。
わかってはいるものの、友達関係に隙間風を感じ、今回はそういうことが立て続けに起こったので、心が少し弱っていた。

そんな弱った心に癒しのエネルギーを補充することが出来た。
人それぞれ、生き方が違うということも改めて気づいた。
自分で壁を作っていたけれど、その人をそのまま全部受け入れようと思えるようになった。

鞍馬はいつも、その時に必要なエネルギーや気づきをもたらしてくれる大好きな場所だ。




今日の便でベイエリアに戻ります。



2012年12月16日日曜日

関係

人生にとって「たら」「れば」はないそうだ。
人との出逢いも別れも、もう既に決まっていて、偶然ということはないと言う。
誰かと街中で会って「あら~偶然!」と思うけれど、それは偶然ではなく必然なんだそうだ。

人生における様々な出逢い。
何らかの理由があり、逢うべくして逢っている。
親、兄弟、子供、パートナー、友達、学校の知り合い、職場の仲間。
1つ1つが自分に必要な関係で、一瞬一瞬がとても貴重で、何かを学ぶためにお互いに逢わされている。

親。
人生の特に前半で多大な影響を及ぼす親子関係。
子供は生まれる前にその生の学びのテーマを決めて、自分の親を選んで来ると言う。
私の今回のテーマはなんだったのだろう?

パートナー。
その都度その時期で必要なパートナーが現れ、自分の成長と学びをもたらす。
昔付き合った彼とは、その時に学ぶことがあって出逢い、時間を共有し、そして別れた。
今は、旦那と・・・学ぶことばかり。
忍耐、我慢、相手を尊重すること、言いたいことは口に出して伝えること、お互いがハッピーになれること、相手を思いやること・・etc。
あとは何やろ?
私達、成長してるんかな?

友達。
私が友達1人1人とこうしてお付き合い出来るのも、偶然ではなく然るべき理由があり、お互いの成長の為に逢わされている。
それぞれの関係や深さは違うけれど、貴重な繋がりだと思っている。


人と人の出会いは一期一会。
一緒にいる時間は二度とやって来ない宝石箱のようなもの。
この縁に感謝して、それぞれの出逢いと共有する時間を大切にしたい。


2012年12月15日土曜日

お別れ

有馬温泉での夕食後、父からメールが入った。

「岡山の叔母が亡くなった。」・・と言う訃報。

突然の知らせに、ただ唖然。
信じられない・・と言う思いで、酔いが一気に覚めてしまった。

翌々日、お葬式に参列するために岡山に向かった。

叔母には一人娘のAちゃんがいる。
ずいぶん前に結婚し、今は10歳の男の子の母になっている従妹のAちゃんに何年ぶりかで再会した。
気丈に振る舞い接客をしているAちゃんを見ていると2年前の私を思い出した。

2年前の11月に「余命1年」と宣告され、私が看病の為に大阪に帰省中の12月、宣告から1か月後に他界した母。
昨日までそこにあった肉体が突然いなくなる・・と言う事実を理解できない、理解したくない身内の思い。

斎場までAちゃんの側についていて、戸惑いと悲しみを隠せない姿を2年前の自分とダブらせた。
骨を拾いながら叔母の冥福をお祈りした。


お葬式と言う行事はそんなに頻繁に関わることではない。
他人のお葬式に参列することはたまにあっても、身内・・それも自分の母親のお葬式とは一番悲しく、信じたくない日なのだと思う。
私も、かなり長い間、母の死を信じられなかった。
たぶん、今でも母を探している自分がいるので、事実をわかっていても受け止めていない部分がある。

人は誰でも1日ずつ、1秒ずつ死に近づいている。
母の死も、自分の死も、避けられないことであり、いつかはみんなそこに帰っていく。



今日、母の三回忌の法要が執り行われた。
この法要に参加する為に、私は息子と旦那をアメリカに残して大阪に帰ってきた。

丸2年なのに、何故三回忌・・「3回」なのか。
法要の後、浄土真宗の御坊さんが解りやすく説明してくださった。

人は生きていく上で、限りあるものに対して「欲」が湧く。
食欲、財欲、性欲、美や歳に対しての欲・・・
欲が湧くことによって、苦しみの種が生まれる。
生きていくことは苦しみを伴う作業だという。
「死」とは、その苦しみから解き放たれる瞬間なのだそうだ。

欲のある世界から欲のない世界、苦しみのある場所から苦しみのない場所に移行する儀式。
それが「お葬式」なのだそうだ。

苦しみのない世界に入って、1回目にする儀式が「お葬式」。
次の1年目が「一周忌」(これが2回目の儀式)。
そして2年目が3回目の儀式なので「三回忌」。

この世は苦しみだらけで、あの世は苦しみは全くないのか・・・と御坊さんの話を聞きながら、ふと思った。。

母と叔母は今頃、苦しみから逃れたあの世で再会しているのかな~と考えていた。


2012年12月11日火曜日

有馬温泉


有馬温泉は兵庫県に位置する日本最古の温泉。
関西近郊からのアクセスが便利なので昔から人気のある温泉街だ。
帰省中に一度は温泉に行きたい!と思い、友達が休みをとってくれたので2人で有馬温泉行きを計画した。

ネットサーチして、「エステプランがあり、お食事もミシュラン1つ星」・・と言う、女性にとってはと~っても魅力的なお宿を発見したので予約を入れた。

大阪・梅田駅からバスで1時間。
山間の道路に立ち並ぶ温泉宿の集落が現れた。

目指すは「有馬温泉 高級料亭旅館・欽山」
http://www.kinzan.co.jp/

玄関の門をくぐると静寂な空気が漂っている。
ゴージャスではないが、閑静な佇まいで落ち着ける空間・・・そんな雰囲気を醸し出すお宿だった。

バスに乗っている時から「お腹すいた~」を連発していた私。
新しく改装した阪急百貨店のお蕎麦屋さんでランチを食べたが、2時過ぎにはもうお腹がすいてきてしまった。
お部屋に着いたらお茶菓子を食べてから温泉へ・・と思って部屋に入ると、すぐに器に盛られたプリンスメロンやイチゴなどのフルーツの盛り合わせ、和菓子&お煎茶が運ばれてきた。
テーブルの上にはそれとは別に炭酸煎餅とクッキーの御茶請けが用意されている。
贅沢なおやつを食べて、既に気分はプリンセス気分だった。

お腹が落ち着いたので、お湯に浸かりに行く。
赤茶色をしたお湯が湯船に湛えられている。
係りの人に泉質を訪ねると、これは「金銭」と呼ばれるお湯だと言う事だった。
冷え性、腰痛、筋・関節痛、末梢血行障害などに効果があり、地下の鉄分が空気に触れて赤くなるのだと教えてくれた。

前日から雪がちらついていた関西では真冬並みの冷え込みで身体も凍りつくようだ。
「金銭」に浸かると、その冷えがじわ~っとほぐれて、足元がポカポカと温まってきた。
時間と共にだんだん汗が噴き出てくる。

身体の芯まで温まったところで、エステの時間となった。
同じ階にあるエステサロンに移動する。

エステシャン2人が私達を出迎えてくれた。
友達とそれぞれ別個にカウンセリングを受けた後、個室に通される。
ここで50分の全身オイルトリートメント。
究極のリラックスタイムとなった。
エスティシャンのOさんはなめらかな癒しの手で全身の疲れをほぐしてくれる。
最初は楽しいおしゃべりをしながらのトリートメントで、「眠るともったいないので絶対に起きてるわ~」とOさんに言ったものの、気持ち良くていつの間にか眠ってしまっていた。
眠るとアルファー波が出て、よりリラックス出来ますよ・・とOさんがフォローしてくれた。

マッサージを終え、部屋に戻って一息ついた後夕食の時間となった。

夕食は部屋食で、まず食前酒と先付が出された。



その後次々とお料理が運ばれてくる。
ミシュラン1つ星の期待通りに繊細な味と盛り付けだった。
お出汁の味が浸み込んだ菜の花浸しや貝柱真丈、蒸籠には黒毛和牛、酢の物はズワイ蟹など。
季節の素材を厳選し、素材を生かした味付けに仕上げてある。
私が一番気に入ったのは「射込み蕪」で蕪がシメジや三度豆と一緒にお出汁で煮込まれ、上からフカヒレの餡がかかっている。



美味しいお料理に舌鼓を打ち、冷酒との組み合わせも絶妙で、本当に幸せなひとときだった。




友達に「目が開いてないで~」と言われるほど冷酒がほどよく回ってきた。
お湯に癒され、手で癒され、食に癒され・・極上のリラックスタイムとなった。

普段は知らない場所に行くと寝つきが悪くてあまり眠れない私なのだが、この日は布団に入るなり寝息が聞こえてきたそうだ。

ぐっすり眠ったおかげで朝5時に目が覚め、朝食前の朝湯を楽しみ、「金銭」を名残惜しんだ。
湯豆腐、焼き魚、卵焼きなどの朝食を食べた後、少しゆっくりしてからチェックアウトをした。

欽山・・・従業員の方々の態度もとても親切でホスピタリティに溢れている。
空間、接客、食、お湯、エステ・・・このコンビネーションをトータル的に取り入れ、客を「持て成す」ことに徹底している印象を受けた。

またいつか訪れたい・・お宿でした。


2012年12月9日日曜日

ヨガ・ピラティススタジオ in 大阪

今年の夏に帰省した時に友達からピラティスのクラスに誘われました。
大阪市内のスタジオで、少人数で受けるヨガやピラティスのクラスがあり、かなり気に入っているとか・・

運動不足を懸念していた私は2つ返事でOKし、スタジオを訪れました。

Riroa's Beauty-Yoga& Pilates Studio
http://riroas-beauty.com


インストラクター兼 オーナーのRitsuko さんは、ハイアットリージェンシーやリッツカールトンホテルでのインストラクター経験を持ち、日本人&外国人セレブを多く顧客に持つ、知識豊富で信頼できる魅力的な方です。

私はピラティスやヨガのレッスンはアメリカでも受けたことがあるので、同じようなものだろうなあ・・と思っていました。
ところがどっこい、嬉しい誤算でした。

Ritsuko さんは身体の骨格や筋肉の位置・動きを熟知されています。
生徒1人1人の骨盤の歪み・ズレを指摘したり、筋肉や骨格を本来あるべき場所に戻る姿勢や動きを教えて下さいます。
呼吸、筋肉の動き、骨格、姿勢・・・トータル的に指摘されたのは初めてでした。

初回のレッスンでRitsuko さんの指導に魅了された私は夏の滞在中に何度かレッスンに通い、プライベートレッスンも受けて、更に筋肉の動きなどをチェックして頂きました。

私は後ろ足の筋肉が発達していないと言う事です。
足の前面の筋肉だけを使って歩いているので、前のめりになり膝が曲がると指摘されました。

自分では正しい姿勢、歩き方だとこの歳まで思っていたので、「目から鱗」状態でした。
そんな私に足の後方の筋肉をつける運動を伝授、また他の骨格や筋肉、姿勢、動きに関しても詳しくチェックして下さいました。

アメリカに帰ってもこの数か月は指摘されたことを思い出し、使っていない筋肉を使うように心がけました。
友達に「最近、体形が綺麗になってきたね。」と褒められたときはとっても嬉しかったです。

夏に引き続き、今回はピラティスとヨガが半分ずつを取り入れたグループレッスンにも参加しました。
基本のポーズで骨盤の位置をチェックされます。
正しい位置を忘れかけていた私。情けない~

それから肩を開く運動をします。
私はパソコンを使うと猫背気味になり肩が閉じてくるので、この運動は肩が開いてとっても気持ちがいいです。
背骨をまっすぐにする姿勢をしながら呼吸を入れます。
すっかりこういう基本的なことも忘れている自分に気が付きました。

普段はジムで腹筋や腕・足の筋肉を鍛えていますが、それはあくまでもアウターマッスル=外側の筋肉であって、インナーマッスル=体の芯になる筋肉ではないので、運動に安定感がないということ。
片足で立つ姿勢をするとグラグラして維持出来ません。
夏よりはマシになりましたが、グラグラしている自分を鏡で見ながら、まだ体の芯が出来ていないことを再確認しました。

ヨガでは首の後ろの筋肉を伸ばすポーズをしてとても気持ちがよかったです。
普段、知らない間に身体のあちこちが縮こまっているのだと思いました。

一番びっくりしたのは翌朝。
ベッドの中で目が覚めると、自分の呼吸が深くなっていることに気が付きました。
肺に今までよりももっと空気が送れるようになっている感じがします。
肋骨を意識する運動をして、肺の空気許容量が増えた気がします。
あのわずか1時間のレッスンで、身体がここまで変化するのかと驚き、Ritsuko さんのすごさを再発見しました。

Ritsuko さんのレッスン、また近々大阪に帰ったら受けたいです。
ありがとうございました。


2012年12月8日土曜日

石神さんと伊勢神宮

奈良在住のある方から、「鳥羽に石神さんという神様を祭る神社があって、女性の願い事をかなえてくれはるで・・」と教えてもらいました。

神社仏閣が大好き、波動の高い所が大好きな私。
女性の願い事をかなえてくれる・・そんな魅力的な言葉を聞いて行かないわけがありません。

日本に来る前はガラガラだったスケジュールがだんだんと埋まってきて、行けるときに行こうと思ったので即行動にでました。
翌日、1人で近鉄特急に乗り鳥羽へ向かいました。

鳥羽駅からコミュニティバスに乗り35分。
バスの中は女性の乗客者が多かったです。
山の中を走り抜け、小さい港町・相差(おおさつ)に到着。
多くの女性がここで降りています。
石神さんを祭る神明神社まで徒歩5分ほど、なだらかな坂を上っていきます。

神明神社はこじんまりとした神社で25の神様が祀られています。
その中の1つ、参道にある小さな社が石神さんで、ご祭神は神武天皇の母君・玉依姫命(たまよりひめのみこと)。

昔から海女たちが「女性の願いならひとつは必ず叶えてくれる」と密かにお参りを続けていたのが、いつしか全国に知られ、芸能人や有名人なども数多く訪れているらしいです。

さっそく参拝をしました。
鳥居をくぐった瞬間、優しい清らかなエネルギーを感じました。


鳥居の前に置かれているピンクの紙に願い事を1つだけ書き、箱に入れます。
お願いします・・・とお任せして、境内を後にします。

その後、クスノキを祭ってある長寿のお守りを参拝しました。
「触ってください。」と書いてあります。
どっしりとした木の姿からは想像も出来ないような優しい波動がハートに伝わってきました。
なんだか木に癒された気がします。


ゆっくりしたかったけれど、バスの時間が気になったので早足でバス停に向かいました。
バスは30分~1時間に1本の割合なので、時間をチェックして乗り遅れないようにしないといけません。
乗り遅れた場合はかなりの時間、次のバスを待つことになります。
到着したバスに乗り、石神さんを後にしました。


鳥羽駅に戻るとまだお昼過ぎで時間があったので、この夏にも息子と友達と3人で行った伊勢神宮を参拝することにしました。
あの神宮に入った途端に変わる「凛」とした空気が大好き・・。

先に外宮に向かいます
鳥居をくぐった瞬間に空気が変わりました。
重い・・
立ち並ぶ木々も壮大で力強いエネルギーを醸し出しています。
正宮を参拝したあとその側にある三つ石を眺めました。
四方をしめ縄で囲まれているので石には触れられません。
縄の外から眺めていると各方角でエネルギーが違うのを感じます。
ある方角に立つと胃が痛くなり、また違う方角から眺めると頭がスッとします。


不思議な石。
この石からかなり強いパワーを感じました。

そのあと数か所ある別宮を参拝。

その後バスに乗って、内宮に移動し、正宮へと向かいます。
外宮よりも静かな、それでいて厳粛で高貴な雰囲気を感じながら参道を歩きます。
夕方だと言うのに大勢の人が参拝に訪れていました。
それから別宮・荒祭宮(あらまつりのみや)を参拝しました。
ここのパワーは結構強く、身体がヘロヘロになる感じです。
前回は気のせいかと思ったけれど、今回もやはりヘロヘロになりました。
神宮を後にし、赤福のお店で赤福善哉を戴きます。
よく考えてみるとお昼ご飯を食べていなかった私。
空っぽの胃に温かいお善哉が浸みわたり、元気が出てきました。

神社仏閣大好き人間・・・日帰りで鳥羽と伊勢神宮に行ってきました。
パワフルな日帰り参拝でした。

2012年12月7日金曜日

繋がり


ブログを書くようになってから、友達関係が広く、深くなったように感じる。

特にニューエイジ・ネタには抵抗を感じる人も多々あるので、今までは友達との会話にこういう話題を持ち出すのは控えていた。
ブログ上で、ニューエイジや自然派の話をいろいろとシェアーしていると、「私も興味があった。」とか「感覚的に同じ方向を見ている。」などのメールを頂き、いろんな方から励ましてもらっている。

今までは只の友達だった人と、もう一歩入り込んで深い話を交わせるようになった。
私のことを「変な人」だと偏見を持たず、ちゃんと向き合って情報を交換出来るのは貴重な関係だ。
また、今までと同じように接し、私のことを見守ってくれている友人達にも感謝したい。

そして、新しい友達も増えてきた。
類は友を呼ぶ・・的に、同じような感覚の人同士が引き寄せられ、会うべくして会い、どんどんつながりが広がっていっている。
私が求めていた「興味のあるもの」「やりたいこと」をそういう人達が持って来てくれる。
ヒーリングシェアー、、出来ないと思ってた~
瞑想会、、やりたかった~
曼荼羅画、、ずっと探していた~
そういう事がどんどんポンっと、すぐ目の前に現れる。
不思議だ。
勇気を出してドアを開けたことは、間違っていなかったんだ・・と嬉しい気持ちになった。

関連記事:背中を押してくれた人

2012年12月5日水曜日

息子の不満

月曜日の朝、独りでサンフランシスコ空港を発ち、12時間後に関西空港に到着した。
私は今、大阪にいる。母の三回忌の法要の為に帰ってきた。

寒い!
真冬並みの寒気団が上空に停滞していて、風が冷たく凍えそうに寒い。
1月中旬並みの気温だと言うことだ。
ベイエリアではあまり着ないロングのダウンジャケットがとても重宝する。

街並みはクリスマスイルミネーションとお歳暮商戦とお正月の準備とで活気にあふれ、人々は忙しそうに移動している。
あ~~師走やねんなあ・・と思いながら街を眺めた。

私も来る前の2週間はとても忙しかった。
日本での年賀状に匹敵するホリディカードの作成&オーダー&送付の作業、家族や親戚に渡すクリスマスギフトの買い付け、家族に贈るカレンダーの作成、日本の家族や友人へのお土産。
これをあのサンクスギビングの週にやっていたので、パーティの用意とこの準備とで猫の手も借りたいほどだった。
(カードの送付作業は途中で放って来てしまった・・・)


1人で帰省するのはとても気楽なんやけど、気になるのは残してきた息子のこと。

発つ日の前日の夜、ベッドで息子に本を読んでいると急に私の腕に顔を埋めて「ママ・・行っちゃ嫌!」と心細い声で呟いていた。

あら~~、可愛いやん。そんなこと言われたら困るわ・・と思っていたら、

「あのね、何でかわかる?」と聞かれたので、う~~ん・・と考えていると、

「だって、ダディが作るお料理、美味しくないんだもんーーー。」と大声で訴えた。

素材のコンビネーションや味の不満などをここぞとばかりに並べ立てる息子。
普段は私が料理をするので、旦那の手料理をあまり食べたことがなかったが、そんなにひどいのかと驚いた。

でも私がいない間の息子のお弁当と夕食を含めた家事全般、息子の学校の送り迎えと習い事の世話などを一手に引き受けてくれる旦那には感謝している。
ご飯に関する不満は息子に目をつぶってもらうしかない。

帰ってきたら美味しいものをいっぱい作ってあげるから、、と慰めた。
そして、お土産を買ってくるから、何がいい?っと聞くと、

「おまんじゅう~」と甘えた声で呟いた。

(聞くまでもなく、答えはわかっていたのだが・・)

今頃ディナーの時間やなあ~
何食べてるのかなあ~
・・と、ふと考えながら、妹と友達とでランチを食べていた。

それにしても寒いわ~ 大阪は。



2012年12月2日日曜日

マクロビお料理教室 12月2日

12月最初の日曜日、先日のブログでも紹介させていただいたマクロビオティックのお料理教室に参加してきた。

講師は河合秀紀さん。
河合さんはマクロビオティックのパイオニアー:久司道夫先生の元で学ばれ、マクロビオティックのレストランでのシェフ・Kushi Institute のダイニングでのヘッドシェフと言う経歴を持たれ、現在はLAで活躍されている方。
今回は今年3月に引き続き2回目のベイエリアでのお料理教室と言うことだったが、私は初めて参加した。

メニューは4品。河合さんの料理のデモンストレーションと料理をしながらのレクチャーによる4時間のクラス。
マクロビの基本「陰陽」に始まり、素材のパワーを生かした切り方や料理法など、勉強になることがとても多かった。
久しぶりにマクロビを学ぶ私にとっては充実した時間だった。

レシピは季節の素材をホリディミールに生かし、クルトンの代わりになるもの、ターキーの代わりになるものなどを選び、健康重視の野菜たっぷりのお料理だった。



料理されたものを戴き、その野菜の甘みや食感、コンビネーションなどに感激した。
身体の中に野菜のパワーや作り手のエネルギーが巡っていくような気がした。

お料理教室の後は、有志が残って「河合さんとの健康相談会」と称した、身体と食べ物についてのレクチャーを聞いたり質問をしたりと、これも為になることを沢山学んだ。

顔相(皺や色)からその人の持っている病気や摂りすぎている食べ物・足りない食べ物などがわかると聞き、思わず鏡を覗いてしまった。
身体を作っているのは「血」であり、腸で血のクオリティが決定される・・と聞き、やはり食べ物は身体にとって最も重要なものなのだと再認識した。

肉大好き!な旦那を持つ私にとっては、マクロビと家族の好みとの間で日々葛藤があり、マクロビを徹底して出来ない状況だ。
河合さんは、それでもバランスを取る事が大切なのだとおっしゃっている。
肉を食べる時は大根おろしを一緒に戴く、、肉の3倍の量の野菜を食べる、、など身体を酸性に偏らない方法を教えてくださった。



今回、たくさんの友達から「お料理教室に参加したいけれどスケジュールが合わない。」と連絡をいただきました。
今週火曜日、12月4日10時からサンタクララ三育学院にて河合さんの講演会が予定されています。
お時間のある方は足を延ばしてみて下さい。



 




2012年11月30日金曜日

マクロビオティックお料理教室 in San Francisco Bay Area

急な話なんですが、ベイエリアにてマクロビオティックお料理教室が今週末から開催されます。講師はクシ・インスティテュートでヘッドシェフを勤めた経歴もある河合秀紀さん。
かなり生徒さんが集まっているようですが、まだ12月2日と5日の教室に若干空きがあるということです。また12月4日は三育学院にて、河合秀紀さんの講演会も予定されています。
 
河合秀紀さんのプロフィールは最後にご紹介。

ご興味のある方はオーガナイザーのT.W.さんまでメールでお問い合わせ下さい。


-お料理教室の内容-


<お料理教室 メニュー 〜マクロビオティックでホリデーミール〜
 
ホリデースタッフドスクウォッシュ(Holiday Staffed Squash)
 
スウィートポテトの飴煮 (Candied Sweet Potato Medley)
 
パースニップのクリームスープ (Parsnip Cream Soup)
 
アップルピーカンパイ (Apple Pecan Pie)
 
<イベントスケジュール>
 
② 12月 2日(日)お料理教室 @ San Mateo (日本語) 10am 〜 2pm 参加費$50、定員8名
④ 12月 4日(火)講演会 (日本語) 10am 〜 正午 参加費無料(ドネーションを承っております)
「パワーオブフード〜心と体を育む食と生活」@三育学院 in San Jose
 
 12月 5日(水)お料理教室 @ San Jose (英語) 10am 〜 2pm 参加費$50、定員8名
 
お料理教室はデモ形式で行なわれます。参加者全ての方に調理実習をしていただくのではありません。なお、多少のお手伝いをお願いする場合もあります。
*12月8日(土)に、別の方の主催で、サンフランシスコにて、同じく河合秀紀さんのお料理教室が開催されます。こちらに参加をご希望の方は、nx4m-ogw@asahi-net.or.jp (寺子屋「叡伝」さん)まで、直接ご連絡されてください。
参加を希望されるイベントの番号(②④⑤)と参加者のお名前、電話番号を、macronokai@gmail.com T. W.さんまで、お知らせください。参加が決定された方にのみ、開催場所の詳しい住所など詳細の連絡が送信されます。
 
 
 
**** 河合秀紀さんプロフィール ****

マクロビオティック実践歴25年。1985年、渡米。マイアミにて、米国のマクロビオティック運動の創始者である久司道夫氏の親族経営の日本食レストランで2年就業。その後、久司道夫氏が経営する西マサチューセッツ州にあるマクロ
ビオティック/日本食レストラン“銀河”にて、 また、クシインスティテュートのキッチンにて就業、調理法の基礎を学ぶ。ヨーロッパ滞在を経て、米国に帰国後、より深くマクロビオティックを学び実践するため、クシインスティテュートのキッチンにて、ヘッドシェフとして調理を始める。また、約二年間、ボストン在住の久司道夫氏の下、当時、体調を崩されていた久司氏夫人、アベリーヌ先生の食事の用意、日常生活における補助をしながら久司氏に師事、経験を積む。
2001年、クシインスティテュートに戻り、キッチンの再編成、キッチンスタッフの指導、育成、健康相談、メニュー作成に従事する。現在はLAにて、マクロビオティックの普及に努めている。
 
 
 
 

嵐の季節

私が住んでいるサンフランシスコ・ベイエリアは10月下旬から半年間は雨季となる。
ず~っと降りっぱなしではないが、時々の豪雨で地域によっては洪水が起こる。
その前の半年間は乾季でカラカラ状態なのでその格差が激しい。
日本の梅雨のように湿気はないが、年末を前にして雨ばかりでは買い物に行くのも一苦労だ。

「今週水曜日から数日間にかけて3つの大きなストームが来る。」、、と天気予報が言ってた。

水曜日の朝、出かける前にはもう雨が降り出していた。
フォスターシティに行くのにハイウェイ101に乗ったら水しぶきで前が見えない。

ひゃーー、ストームが来るんやわ~・・・とびびりながら運転をする。
しかし、数時間後には晴れて来た。
1つ目のストームは通過したらしい。
なんや、、この程度かいな、、、とホッとした。

「2つ目のストームは木曜日の夜から金曜日全般にかけて雨を降らせる。」と聞いた。

木曜日の夕方。雨が降り出してきた。
早く家に帰ろ~・・と家路を急いでいたら、自宅近くの道路(山道)で渋滞が起こっている。

何?事故?・・

と思って、前方を見ると、1頭の鹿が道を渡っているのが見えた。

この光景はここら辺ではよくあることなので、その割には長い渋滞やなあ・・と思った。
ふと道路わきの林を見ると鹿が12頭いて最後の鹿が渡るのを眺めている。
この鹿の数には驚いた。

普通鹿は単独行動、もしくは母鹿が小鹿を連れて歩くことはあっても13頭の集団では一緒に行動はしない。
珍しいこともあるもんやわ・・と考えながら山道を登っていった。

夜になっても雨はそんなにひどくはならず、2つ目のストームもこの程度か・・と鷹をくくっていた。

夜中の3時。
ゴーっ!!と言う音で目が覚めた。
雨の音と、裏庭のクリーク(小川)の音だ。
クリークは夏は水がなくなり、乾いて川の姿を消すが、雨季になるとチョロチョロと水が流れる。
そのクリークが滝になって轟音を立てていた。

嵐が来たーー!
とてつもない水の量が勢いよく下方に向かって突進している。

その時、鹿の集団のことを思い出した。
野生動物は天性の勘で身の危険を察知する。
鹿達はこの豪雨のことを既に感じて、集団で避難していたのかなあ、、と布団の中で考えていた。
滝の音があまりにも大きくて、それから眠れなかった。

金曜日の朝、息子を学校まで送っていく。
道は川のようになり、水しぶきを上げながら車を走らせる。
水の上を運転するのは怖い。
北のほうでは洪水の為に休校になっている地域もあるらしい。
まだ雨は降り続けている。

土曜日から日曜日にかけて「3つ目」が来るらしい。

そんな土曜日の朝に息子が所属する現地校のコーラスグループが市のホリディイベントに出演してクリスマスソングを唄うことになっている。
野外ステージなのに「雨天決行」らしい。

嵐でもするのかなあ・・・
野外ステージが浸水ってことはないのかな・・・

っと要らぬ心配ばかりをする私。

このお天気、てるてる坊主では効きそうにないなあ~


2012年11月28日水曜日

乳がんの罹患率

最近、あまりニュースを観ていません。
殺人や誘拐など残虐な事柄を耳にすると落ち込むので避けてしまいます。
唯一チェックするのが天気予報。
なので時事のニュースに疎い私。

2週間前にサンフランシスコ市内の友達と乳がんの話しをしていて、「マリンカウンティに限って乳がんの罹患率が極めて高い。」・・と言う事を初めて知りました。
(マリンカウンティはサンフランシスコの北側、海を挟んだ所にある地区)

昨日、その友達からメールで
「今朝のニュースでサンフランシスコ・ベイエリアのあらゆる区域が乳がん罹患率のハイリスク領域になっているらしいよ。」とリンクを送ってくれました。

http://www.sfgate.com/health/article/Bay-Area-breast-cancer-clusters-seen-4068698.php

そのクロニクル紙の地図を見ると、バークレイやイーストベイ、サンマテオカウンティ、サンタクララカウンティがハイリスク領域にマークされています。
アメリカ国内の平均よりも10~20%リスクが高い地区らしく、赤色で塗られているのです。

ありゃ~私が住んでいるところも当たっているやん・・
どうすりゃ、いいの~? アメリカ撤退?

・・なんて一瞬考えましたが、その記事を読むと原因はまだ究明中でわかっていないということでした。

考えられる可能性として、
*白人の住んでいる率が他の地区よりも多い。
*医療機関にかかる機会が他の地区よりも多いのでその分もっと検出されたことが考えられる。
・・と書いてあります。

これは2000年~2008年の調査で、原因は現在究明中だと言うですが、なんだか納得できないので、他の文献も調べてみました。

そこで見つけたのが、「海外癌医療情報リファレンス」と言う日本語サイトが発表している、UCSF校が調査したマリンカウンティでの乳がんについての見解でした。

http://www.cancerit.jp/18996.html

これは2003年に発表された調査でちょっと時差的にブランクがあるが、一番注目したいのは、
"この研究の重要な結論のひとつは、乳癌の発症原因は土地自体にはないということであった。"と言う事実。

この一行を読んで、ホッと胸を撫で下ろします。
こう言う結論が出てるのに、なんでまた新たに人をビビらす分布図を発表するんやろ~・・と1人でボヤいていた私。

とりあえずはクロニクル紙が現在究明している結果を待つとします。

私たちに出来る事は・・
癌にかかる要因を排除してかかりにくい環境と身体を作ること。
そして早期発見のための検診。

日本では女性は30歳を超えると1年に1度の超音波検査、40~56歳までは毎年の超音波検査と2年に1度のマンモグラフィー検査、57歳からは毎年のマンモグラフィー検査を国が推奨しています。
これには政府からの補助も出ます。

アメリカでは政府からの補助はありません。
対象年齢もはっきり決まっておらず、ある団体では50歳以上は2年に1度、とか、違う団体では40歳以上は1-2年に1度など、設定がバラバラ。

アメリカに住む身としては、40歳を越えたら自分で決めた期間で定期的に検査を受けてスクリーニングを行うしか方法がありません。
ハイリスクの場所に住んでいる以上、無視出来ない選択だなあと思いました。


2012年11月25日日曜日

温熱療法

サンクスギビングの翌日・金曜日はリラックスタイムと決めた私。
後片付けも適当にし、本を読んだり、友達にメールを書いたり、ご飯は残り物を食べ、グウタラと過ごします。

私は頭痛持ち。
ストレスが溜まったり、ホルモンのバランスが崩れると、いつも偏頭痛が起こります。
この日も首筋から側頭部にかけて鋭い痛みが走る予兆があったので、セルフヒーリングをしたり、深呼吸をしてゆったりと過ごすとあまりひどくならずに済みました。

土曜日の午後、急遽友達を招いてディナーを一緒に食べることになりました。
心知れた友達で私の疲れを心配してくれているので、「お持て成しはしない。」「食事はパーティの残りや簡単なもの。」と言う約束で来てもらいます。
積もる話をしながらみんなで食事を食べ、赤ワインを飲みました。

翌日、頭が痛い。

飲みすぎ?二日酔い?と思って梅干しを食べたり、お白湯をいっぱい摂ったりしました。
でも考えてみるとそんなに量は飲んでいまえん。
セルフヒーリングをすると一時的に和らぐが、またズキズキと痛み出します。
ホメオパシーのレメディを飲んだけれど、効きません。
頭痛に効くハーブを摂っても効きません。

緊張状態から急激にリラックスすると血管の収縮と拡張のひずみで偏頭痛が起こことがあります。
木曜日の膨大な緊張で血管が収縮した後、金曜日の寛ぎと土曜日のリラックスしたお酒で血管が拡張し、これが私の頭を攻撃しているのかなあ・・と推測。

ふと自分の身体が物凄く冷えていることに気がつきました。
暖房をつけているのに手足がめちゃくちゃ冷えています。
これは身体を温めたほうがいいなあと思い、「温熱療法」を試みました。

温熱療法の理論は
「気の流れ(経絡)には「ツボ」があり、そのツボから気が出入りすると考えられる。
ところが、そのツボを中心に気の流れがとどこおり病気になる。
熱刺激によって気の流れをスムーズにするのが治療目的である。」 
-wilipediaより抜粋-

サウナ、温灸、赤外線照射、酵素風呂など。
家庭で出来る簡単な方法では手浴、足浴、ホットパック、湯たんぽなど。

洗面所に行ってシンクにお湯を張ります
その中に両手を浸けると身体が緩みます。
肩の凝りがやわらいでいくのを感じました。
そのあとは湯たんぽで太腿の内側を温めます。
滞っていた血液が下のほうまで流れていくのがわかりました。
湯たんぽを丹田に移動させ、下腹部を温めると頭痛が薄らいできました。
やっぱり冷えてたんやわ~と思い、夜はゆっくりと湯船に浸かってお風呂に入りました。
知らない間に頭痛はどこかに消えていました。

「冷えは万病の元」と聞くけれど、当たり前のことをつい忘れがちになる日常。
普段から身体を冷やさない食べ物、飲み物を摂って内側から温めるのは大切なこと。
そして外側からも保温し、時には温めることが必要なのだと改めて確認しました。

2012年11月23日金曜日

感謝祭 2012年 その2

今日のサンクスギビングパーティでゲストを玄関で迎えるのは息子の仕事。
ベルが鳴り、あわてて玄関に走っていく彼。

叔母様と叔父様、妹夫婦、従兄弟家族、、、どんどんとやってきました。
1人1人にハグをして、挨拶をかわします。
従姉妹のサンディは2週間前に心臓の手術をしたと聞き体調を心配していましたが、元気そうな顔でやってきたのでとりわけ長いハグをしました。

前菜を食べながらワインを飲んでみんなと話をしたいけれど、ターキーの焼き加減が気になるのでキッチンに居座る私。
ディナー開始までにまだ2時間半あるのに、もう既にターキーに刺した温度計が「食べ頃」を示しています。
叔母様に相談すると、「オーブンから出して天板に水を張り弱火で保温し、ターキーはアルミを何重にもかぶせてその上からタオルでカバーして温度を保ちなさい。」とアドバイスを受けました。
さすがーー!と尊敬の眼差しで見つめ、支持に従う。

その前にグレイビー用の肉汁を天板から2-3杯スプーンですくって後は捨てようとしたら、叔母様に怒られました。
上澄みの油は捨てて、下に溜まっている肉汁は全部入れる、、のだそうです。
まごまごしていると、叔母様が代わりにやってくれました。
「内臓はどうしたの?」と聞かれ、「捨てた~」と答えると、
「グレイビーには内臓と首の肉をボイルして入れないとダメじゃない、、」と怒られました。
ハハハ、、と笑ってごまかしたら、「後でグレイビーの作り方のレシピを送るから。」と言ってくれました。
それから言われたようにターキーを保温します。

キッチンにある2つのオーブンの1つにはターキーを取り出した後にハムを加熱します。
もう1つのオーブンにはスタッフィングとマッシュポテトが入っています。
ゲストが持ってきたスィートポテト(ヤムポテト)ディッシュ、野菜のディッシュもオーブンで加熱。

ディナーの15分前になり、ターキーを切り分ける作業を開始。
映画やドラマではターキーをテーブルのど真ん中に置いて、みんなで切り分けながら食事をする光景を観ますが、旦那の家族はパーティをホスト者がターキーを前もって切り分けると言う仕来たりがあります。
旦那がターキーを切り分けて大皿に並べ、ハムも違う大皿に並べます。

ローストターキー
ハニーグレイズドハム
サラダ
温野菜のディッシュ
マッシュポテト
スィートポテトディッシュ
クランベリーソースとクランベリーゼリー
スタッフィング
ロールパン

数々のディッシュををキッチンのカウンターに並べ、個人個人が自分のお皿に好きなだけ入れていくビュッフェスタイル。
私はまず息子の分を先に確保して、子供達を席に着かせます。

大人も一列に並んで食べ物を入れていき、席に着いた者から食べ始めます。
最後に私と旦那がお皿に配膳し、席に着きました。
旦那がワイングラスをチリンチリン!と鳴らし、みんなの注目を集めます。

パーティのホストである旦那は・・
”この特別な日に家族みんなで集まれたことに感謝し、来られなかった家族のメンバーに祝福を送ります。1人1人が元気で顔を合わせられると言うのは本当にラッキーなことだと思います。”と挨拶をし、乾杯の音頭を取りました。

やっとワインが飲める~~

みんなはローストターキーが最高の出来だと褒めてくれました。
しっとりしていて皮はパリパリ。
「スタッフィングもとてつもなく美味しい!」と言われました。

私は期待してターキーを一口食べた。・・・やっぱり不味い。
どう料理しても私の口には合いません。
ターキーの一切れを、クランベリーソースを沢山かけてようやく食べることが出来ました。



スタッフィングとハムは美味しかったです。
マッシュポテトは、あんなに作ったのに、既にキャセロールの中は空っぽになっていて、足りなかったようでした。
唖然。。。

みんなと話しながら食べていると私が食べ終わるのが一番遅く、辺りの雰囲気はデザートの時間になっていました。
あわてて残りの食べ物を口に突っ込み、旦那にコーヒーを煎れるようにお願いして、私は2種類のパイとアイスクリーム、ホイップクリームを冷蔵庫から取り出します。
1人1人にパイの好み、何をサイドにつけるかを聞き、切り分け、配っていきます。
旦那が煎れたコーヒーを配ります。
一部のメンバーは手伝ってくれますが、久しぶりに会う家族のメンバーとお酒を飲み会話をするというのは貴重な時間なので、ほとんどが椅子に座ったまま。
私は配膳係に徹しました。

9時。お開きの時間。

「ターキーが最高に美味しかったから来年もホストしてくれればいいのに~」と言われ、私は苦笑いでかわしました。

お開きと言っても、従姉妹家族は残って、映画を観たり、政治の話で盛り上がったりして結局夜中の1時に帰って行きました。

なんだか疲れた~~

1年に1度のイベント、感謝祭。
家族が集まり、ご馳走を食べ、遊び、お酒を飲んで語り合う日。
ターキーが嫌いでも、お料理が苦手でも、みんなが幸せな顔で帰っていくのを見て、よかったなあ・・と思いました。


関連記事:感謝祭2012年 その1

2012年11月22日木曜日

感謝祭 2012年 その1

1999年の10月半ばに語学留学でサンフランシスコに来た私は、その1ヵ月後のサンクスギビングの日に「???」と言う思いをしました。
11月の第3木曜日、語学学校はサンクスギビングで休みだと聞き、ああ勤労感謝の日なんやわ・・と思っていたのです。
当日、いつも行ってるWhole Foods に買い物に行くとお店が閉まっていました。
辺りを見回すとレストランもドラッグストアーもClosed で車の数も少ないし、街は静まり返っています。
なんで~?と思いながら部屋に戻り、食べるものがないのでパックのご飯をチン!してお茶漬けを食べました。

翌年、アメリカではThanksgiving Day は勤労感謝の日ではなく感謝祭・・収穫を祝う意味から始まり、現在は親族や友人が集まる大規模な食事会で、大切な家族行事の1つである・・と言うことを知りました。
これは日本のお正月に匹敵します。
あの静けさにも納得・・

今年の感謝祭の当日。
朝起きて、まずパーティで着る服に着替え、ちゃんとお化粧をします。
え、、もう?と思われるかもしれないが、大きなパーティとなるといつも朝からパジャマ姿&素っぴんでキッチンに立ち、バタバタしているうちにパーティ開始直前だと気づき、あわてて着替えてスッピンで出迎えた・・という経歴が何度もあるので、朝のうちにもうやっておきます。

用事を一通り済ませてからキッチンに立ち、まずグレイビーソースを作りました。
グレイビーソースはターキーとマッシュポテトには不可欠なので大量に必要です。
小麦粉を炒めてチキンストックで延ばし、ポタージュ状にします。
後で焼いたターキーの肉汁を加えて濃厚な味に仕上げます。

その後は、スタッフィング。
スタッフィングとはターキーのお腹に入れる詰め物のことです。
これをターキーに詰めてしまうと、肉汁の匂いが滲みついて臭くなるので、私は別の容器に入れてオーブンで焼きます。
ガーリック、玉ねぎ、ベーコン、セロリ、マッシュルーム、りんご、ドライドクランベリー、胡桃を順番に炒めて、塩コショウ、ハーブを加え、クルトンを山もり入れ、スープストックに滲み込ませます。
クルトンがジュクジュクになるなんて私は許せませんが、家族はこれが大好物。
これをキャセロールに移し変えて、後はオーブンで焼くだけ。

ここで1時になったので軽くランチを食べました。

ランチ後はターキーを昨夜のブライン浴から上げて、水洗いし、ペーパーで拭きます。
首側の空洞にオレンジの輪切りを入れようとしたら、小さいプラスティックの袋が出てきました。
あ、、内臓の入った袋、、、取るのを忘れてた~
本来はこの内臓も煮て、グレイビーソースに加えるのですが、面倒臭いので捨てました。

そしてターキーの詰め物用のスタッフィングを作ります。
庭に生えているローズマリーを旦那に取ってきてもらい、玉ねぎ、りんご、シナモンスティックと一緒に煮込みました。
これをターキーのお腹に入れ、表面全体をオリーブオイルでコーティングし、塩コショウしてから475度Fにセットしたオーブンに入れます。
温度計を突き刺したターキーを475度Fで30分間焼き、その後は375度Fまで下げて肉の深部に火が通るまで焼くのです。

オーブンに入れたらホッとしました。
2時半。
ゲストが来る4時まではちょっとゆとりがあるわ~
・・っと思っていたのに、洗いもの、テーブルの最終チェック、ハムにかけるグレイズドソースを作っていたらベルが鳴りました。

4時。
ゲストがどんどん到着してきます。

(その2に続く・・)




関連記事:感謝祭前日 http://emeraldhillsca.blogspot.com/2012/11/blog-post_7797.html

2012年11月21日水曜日

感謝祭前日

今年のサンクスギビングの集まりは、2家族がキャンセルとなり、7家族24人となりました。
2年に1度だけとは言え、30人前後をホストするのはかなりストレスを感じます。

でも、やらなしゃーない・・・

18パウンド(約8キロ)の冷凍ターキーを買い、数日間冷蔵庫で解凍しています。
でもこのメインだけでは足りない。何かを足さねば。。。
でもターキーばっかり2羽を焼くのは非常にイヤなので、ハムの塊を買うことにしました。

明日はいよいよ感謝祭。
朝からCostcoに買い物に行きました。
開店前に到着したのに、駐車場はほぼ満車状態。
ひえ~~~!
日本の年末のような、忙しく、血走ったエネルギーが人々の間で流れています。
みんなメモをチェックしながらカートにどんどん食品を入れていきます。

私は、36個入りロールパン(・・こんなに多いのん、買うのは今日だけ・・)、ゲスト用のジュース、3キロの蜂蜜漬けのハム(・・これはターキーの脇役、でも私はこっちを食べる・・)、Peets のコーヒー豆などを買い込み、レジに行き、早々と店を後にします。
駐車場にはどんどん車が入ってきて、パニック状態。

そのあとWhole Foods にも行ったけれど、駐車場が混雑していてグルグル走ってもパーキングを見つけられないので、入るのをあきらめました。
まあ、ええわ・・・強いて要るものはないし~と家路に着きます。

家では旦那がデッキでバーに並べるお酒類の補充。陳列。
そして長いテーブルを3台くっつけて巨大ダイニングを作っていました。
テーブルクロスを探します。
3枚、、ありました~

椅子24脚を並べ、お皿、グラス、フォークにナイフ、デザート用も入れるとフォークだけで48本必要なものを探します。

そんなにあるん~~?

でも、あった。

テーブルセッティングは旦那に任せて、私はキッチンに立ち「ブライン」を作ります。
ブラインとは塩水にハーブやフルーツを入れたターキーの漬け汁。
お鍋で沸騰させた後、巨大なボールに入れて冷まし、洗ったターキーを入れます。

なんか七面鳥がお風呂に入っているみたい・・



そのまま冷蔵庫に入れて、明日まで漬け込みます。

次にマッシュポテト。
25個分のじゃがいもの皮を剥きました。
3年前に私がマッシュポテト担当で、確かじゃがいも12-13個分を作って持って行ったら全然足らなかったのです。
こういうパーティでは食料が足りないというのは許されないらしいです。
余る分は全然構わないので、いっぱい作れ~、、と旦那に言われました。
大きな鍋に溢れるほどのポテト。
チキンストックを入れて、煮込み、火が通ったらスープを減らし、泡だて器で潰していきます。
そしてこれでもかぁ~~と言う位、いっぱいバターを入れました。

疲れてきました。
明日はターキーを焼き、グレイビーソースを作り、スタッフィングも作らないと・・
この辺で辞めよ~

外はもう暗くなって晩御飯の時間になりました。

何しよ?晩御飯・・
お蕎麦。蕎麦がいいな~

明日は濃厚な料理やから、今日はあっさりな麺類が食べたい!ってなことで夕飯はお蕎麦になりました。


世界各国には、日本人がターキーを焼いて、お料理を作り、大人数を持てなして、どうってことないわ・・って人がいっぱりいるのでしょうが・・
私はお料理が苦手。
持て成すより持て成されるほうが好きです。

でも日本に生まれながら、大家族がいるアメリカ人の旦那を持ち、貴重な体験をさせてもらってます。
明日はなるべくリラックスして、楽しめるように・・頑張ります。

関連記事:サンクスギビング

2012年11月17日土曜日

検査結果

3週間前のこと。
サンフランシスコジャイアンツがプレイオフゲームを勝ち抜いてワールドシリーズで戦っていた木曜日の夕方。
さて5時になるし、ジャイアンツの試合を見ようかな~と、冷蔵庫を開けてビールを選んでいたら、旦那がキッチンに入ってきました。

「ちょっと重大な発表がある。」と言うので何の事やろ・・それより、ビール、それよりワールドシリーズ、、と思っていたら、「検査の結果。」の報告でした。
心臓がズキっと鳴り、ビールをカウンターに置いて聞き入った私。

1年ほど前から、旦那のある前立腺の癌にかかるリスクの数値がかなり高い、、とドクターから言われていました。
数ヶ月ごとに検査を繰り返したのに数値は下がらず、この3ヶ月は1ヶ月ごとに検査をしていた彼。
でも、数値は上がる一方。

「これは癌にかかっている可能性が大。」と言うドクターのアドバイスでパイオプシー(細胞検査)をして、その細胞が癌かどうかを判断する検査を勧められたのです。

アメリカでは1人のドクターが全部の役割をせず、診断を下すドクター、検査専門のドクター、癌治療専門のドクターと全部が細かに分かれています。

3日前に検査専門のドクターにかかり、バイオプシーを受けた旦那。
付いて行こうか??と声をかけてみたけれど、1人で行くと言うので見送りました。
数時間後、「結果は金曜日に電話で知らせてくれる。」と平静を装って帰ってきました。
数値の高さ、家族歴、、、いろんな要素を考慮して、癌にかかっている可能性が高い、とドクターに言われたそう。

もし癌にかかっていたら、放射線治療、臓器の摘出手術などをして、存命率はかなりある、、と旦那は楽観的に考えていた風に見えたけれど、実際はどうなの??と思っていました。

もし旦那が死んだら、その後私と息子はどうなるん~~~
・・と私も真剣に考えました。

相方の死 。

今まで考えたこともなかったけど、人生何が起こるか分かりません。
いつそういう事が起こっても不思議ではないし・・・
しかも、「癌」かもしれないと言われた旦那を目の前にしたら、いくら医療が発達しているとは言え、「死」と言うものを考えてしまいます。
旦那には「もうちょっと優しくしよ・・」なんて考えてしまいました。

家のことは何もかも、全て旦那任せてで、私は知らないことが多すぎます。
公共料金の払い方を知りません。
税金、保険、車・・に関しても何1つ知りません。
真っ青状態の私。
どうしよ~~と数日間かなり不安でした。

「んで、、、検査の結果は??」

私は心を落ち着かせようとビールの栓を抜き、ゴクゴクと飲みました。

「さっきナースと電話で話した。」

金曜日に結果が出る、と言っていたのに、一日早い報告。

癌にかかっている可能性は・・

「ない」と言うことだったそうな。

深刻な結果だったらドクターから直々に報告されるが、そうでなかったので「ナース」だったそうだ。

「Yeah!!」」
「よかった~~~!!」

力が抜けました。
それにしても、とってもとっても、ホッとしました。

心配していないふりをしていたけれど、かなり心配していた私。
あっけらかん、、を装っていたけれど、とっても不安だった旦那。

祝杯を挙げよう!とビールを飲み干した後に、お気に入りの赤ワインを開けます。
ジャイアンツの試合を観ながら、お互いに、よかった、よかった、と言い合いました。

人間、いつ、どうなるかわからないけど、この検査結果にはホッとしました。
ひとまず安心。

それにしても、、、私、この家のことを何も知らんやん~~と言うことを身に滲みて感じています。
もうちょっと勉強しないと・・・

今回のことで大切なことを改めて気付かされました。
感謝。

2012年11月16日金曜日

日本語の使い方

息子はバイリンガル。

家で、旦那とは英語で、私とは日本語で会話をする。
友達、現地校、テレビなど環境的には英語がほとんどで、唯一土曜日の日本語補習校で日本語を使う。

お母さんと日本語で話しているのだから、日本語には不自由しないだろう・・と思われる。
しかし、私以外の日本語にあまり接することがない。
テレビジャパンを取っているのに、見るのは限られた番組だけであまり効果があるとは思えない。
日本人の友達と遊んでいても話す言葉は英語。
学年が上がるごとに、息子の日本語が変になっていくのを目の当たりにしている。

唯一の潤滑剤は毎年夏に帰省すること。
私の家族と話したり、小学校に通って日本人として過ごす時間。
(この期間だけは、標準語の日本語がいきなり大阪弁となる・・)
これでなんとか日本語をキープしているのかもしれない。

そんな息子から発せられる日本語が時々ものすごく面白い。

毎朝、息子を学校まで車で連れて行き、何箇所かあるドロップオフゾーンで降ろします。
ある場所はすごく混んでいて車が渋滞していたり、違う場所は激空きですんなりと停められます。
日によってその混み具合が違うので「今日はどの場所にするん?」と聞いたら
「スッキリしてる場所で降ろして・・」と言われました。

スッキリ・・・空いている場所と言う意味なのだろうが、なんだか妙を得ているなあと感心しました。
それから毎日、一番「スッキリ」してる場所で降ろします。

また、こんなこともありました。
息子が習い事をしている間に、編み物をして待っている私。
かなり編めたわ~と思ったのに、なんだか大きすぎてもう一度ほどいてやり直さなければならなくなった時に息子がやってきました。
「ママ、何してんの?」
「大きいからもう一回編みなおし。全部ほどいてるねん。。。」
「ご苦労さん!」
「・・・・。」

ただひたすら笑ってしまいました。
「ご苦労さん」と言う言葉を教えた記憶はありません。
どこでその言葉を習ったのかを聞いてみたら
「DSのゲーム。」
ゲームもそうやって日本語を教えてくれるのなら悪くもないな・・と思いました。

そして、寝る前にベッドで本読みをしている時のこと。
息子に「歯磨きはもう済んだ?」と聞いたら
「まだ・・・」
「早く歯ブラシを取ってきて磨きや~」と促すと
「あ~~のんびりしたい~~」と訳のわからないことを呟く。

でもそれが可笑しくて「座布団2枚ーー!」と大笑いしました。
「これはどこで仕入れたん?」と聞くと
「ドラえもん~」と答えた息子。
使い方が合っているかどうかは別として、自然に笑いを取ることが身に付いているのかも、、と思ってしまった私。
日本に帰ると吉本新喜劇を毎回食い入るように観ていたのはこういうことを学んでいたのかな?

バイリンガルなので「すごく日本語が出来る」と言う訳ではありませんが、面白い表現をするので感心してしまいます。
本人は至って真剣ですが・・・

この息子の日本語は、日頃忙しくてバタバタしている私の心に新鮮な風を送ってくれます。
暫し1人で微笑んでほっこりする時間です。

2012年11月15日木曜日

方向転換

今年の5月に仕事を辞めました。
勤務3年目を迎えようとしていたゴルフウェアの会社 Loud Mouth Golf。

会社のウェアが有名になり、忙しい日々が続きました。
その合間を縫って、お稽古事、息子の学校のボランティア、息子の習い事とバタバタと時間が過ぎていきます。
時間に追われる日々。
半年以上、今後の人生を考えていた私。

ある時、自分の内側から声がして、急に「仕事を辞めよう。」と言う結論に至ったのです。

何故?と友達は聞きます。
勤務時間は融通が効き、夏休みを交代で取って日本にも帰れるし、職場はみんないい人ばかりで、話をするだけでストレス発散になる場所。
家族でも学校でもない「職場」と言うコミュニティの中にいて、自分の場所がいつもそこにありました。

でも、ずっと、「何かが違う。」と言う気がしていたのです。
自分の中心がズレている感じに捉われていました。
残された時間にやりたいことはこれじゃないと、漠然と思っていました。 
ちゃんと説明が出来ないけれど、方向転換をする時期なのだともう1人の自分が叫んでいました。

なので、後ろ髪を引かれながら職場を後にしたこの春。

辞めたあとは・・・

旦那と二人三脚で、家のリモデルに取り組んでいます。
建築家の彼は、もう何年も前から何通りも図面を書き「改築・Ready Go!」の状態でした。
それで私がアシスタントになって家のリモデルと言うプロジェクトに取り掛かり、デザインの最終決定を2人で考えたり、床や壁を選んだりと言う簡単なものを手伝っています。

自分の時間があるので、セミナー、ワークショップなどに参加出来るのも嬉しい。
そして書くことにも時間を費やせるようになりました。
このブログを書き始めてから、ネットワークが広がり、同じ視野で物事を見つめている人たちと繋がっています。
既にお会いしていた人達でも、今までは心の中身まで明かさなかったので、表面だけの付き合いで終わっていました。
中身を明かすと、こういう私だと知った上で、もっと興味を示してくれたり、更なる情報を送ってくださいます。
そういう方々と話をしたり、メールを交換しているだけで、新たな気づきや学びを分かち合えるようになってきました。
家族でも学校でもない自分の場所は、これからは自分で作っていくのだと感じています。 

2012年11月14日水曜日

病気の原因

私は健康オタクだとよく言われます。
いろんな種類の本を読み漁り、知識だけは豊富にあるのかもしれません。

この夏読んだ本に書いてあったのは・・「病気について」。
病気の原因の90%は心のストレスだと記されていました。

心の問題が健康を害する要因となるということ。
人間の細胞は、癒しの状態にある時には病気を寄せ付けません。
でも、苛立ちや迷いの状態にある細胞は「血液の流れが変わり、老廃物が蓄積され、毒素が生み出され」、病気の原因となると言うことです。

例えば・・

自分勝手な「利己主義」な人は、内分泌(ホルモン)の問題をかかえます。

「悲しみ」を持ち続けていると、うつ病になる可能性が・・

「不安」や「恐れ」があり心が安らいでいないと、胃腸に問題を起こすということ。

「怒り、欲求不満。苛立ち」があると、免疫システムが停止し、病気にかかりやすくなります。

罪悪感や恥辱が原因で形成された「完璧主義」は呼吸器系に問題が起こり、深呼吸が出来なくなったりします。

「信頼」に関わる摩擦は、生殖システムの問題や不妊を招くそうです。

いい人でありたいと自分を「イメージコントロール」する人は、循環システムや心臓に問題が起こります。
                                    -The Healing Code より抜粋-

・・など、感情と病気には密接な関係があると言うことでした。
     
1年半前にサウスダコタのメディスンマンと話をしました。
彼はスピリット(精霊)の声を聞くことが出来、病気の人が来るとセレモニーを開いてその治療法を患者に伝える仕事をしています。
「末期の癌であっても、数ヶ月は寿命が延びる。」、、、と聞いて驚きました。

「ほんとに~?」と思ったけれど、癌で亡くなった母のことが頭をよぎり、彼に母のことを話しました。
母は2年前の11月に「余命1年の末期癌」と診断され、それから1ヶ月ほどで他界したのです。

彼は「癌は感情的なアンバランスによって起こる」と私に告げました
ネガティブな感情=不満、不安、怒り、怖れ、、、そういうものを自分の中に抱えていると癌細胞が増殖すると・・・
「食事や免疫システムは関係ないの??」と聞くと、それは脇役的な要素で、癌に罹患するのに最も関係があるのは感情だときっぱりと言い切りました。
日頃から、Happy な自分でいることが大切なことだと付け加えて・・

母の生前にこのメディスンマンに会わせることが出来たら、もう少し長生き出来たのだろうか・・?
そんなことを考えながらコーヒーを一緒に飲みました。

The Healing Code の本を読んだときに、あのメディスンマンの言葉が蘇ってきました。
同じことを指摘している、、と思ったのです。

"毎日Happy でいること”

これに勝る薬はないのかもしれません。


2012年11月13日火曜日

サンクスギビング

11月が過ぎるとあちらこちらで「サンクスギビングはどうするの?」と言う話が持ち上がります。

アメリカでは11月の第3木曜日がサンクスギビングの祝日で、ご馳走を食べ、収穫や食べ物に感謝する日。
日本のお正月やお盆のように帰省ラッシュがあり、人々が州を渡って家族の下に帰ってお祝いをします。
空港が一年で一番混雑する時期。
息子の学校は、その週はサンクスギビングウィークとなりずっと休みになります。

旦那の家族や親戚は幸いにも(?)ここベイエリアに集中しているので飛行機で移動する必要はありません。
毎年、車で誰かの家に集まり、みんなでターキーを食べ、お酒を飲んで盛り上がります。
でも、人数が半端ではなく、30人前後集まります。

そして2年に1度、このパーティをホストする番が回って来るのです。

今年は、ウチが当たり年。

11月に入った途端に憂鬱になってきました。

ターキー(七面鳥)って、、、美味しくないのです。
家中にターキーの匂いが立ち篭もるのも嫌。(臭い。。。) 
そして料理するのに、私は食べません。
親戚一同は美味しいと絶賛していますが、私にとっては・・・・・う~~ん・・・・・。

日本のお正月みたいなもので、お雑煮とお節料理を食べるのが習慣なように。こっちの人がお節料理を食べても美味しいと言いませんよね。

とにかく、、憂鬱さが日増しに濃くなってきます。


2012年11月12日月曜日

背中を押してくれた人

Kojima Ayako さん

マウントシャスタでレストランVivify を経営されていました。
1年半前に天国に旅立ってしまったけれど、今尚、私の心に鮮烈な光を残している方です。

4度の癌に侵され、Ayakoさん自身が食事の大切さを体験し、4度目は医者も薬も絶って、食事で癌と戦っておられました。
 サンフランシスコで流行っていたレストランを閉め、綺麗な水と空気を求めてマウントシャスタに引っ越されたのです。

そんなAyakoさんの経緯を知ったのは6年前に読んだ彼女のブログからでした。
まだ会ったこともない人でしたが、ブログの内容=マクロビや食事の大切さ・・に惹き付けられ、よくページを訪れていました。
5年前に家族でマウントシャスタに行った時にVivify で食事をして、お料理の美味しさに感動しました。
3歳の息子に「お土産~」と言って手作りのお菓子を持たせてくれた優しい人柄にも惹かれました。
4年前、Ayakoさんがサンフランシスコベイエリアでマクロビ・食養のよさを伝える為にバイオフードのお料理教室を開くことを知り、参加しようと決めました。

白いシェフのユニフォームが眩しいほど似合っていて、立っているだけで存在感のある人でした。
マクロビ初心者の私達に手取り足取りわかりやすく、簡単なレシピで数品目を教えてくれました。
そのテキパキとした動き。
作るのが速い。
でも美味しい。
すっかりAyako流バイオフードに嵌り、何度も教室に通いました。

そのうちに意気投合し、我が家で教室を開いてくれることになり、 山の中までトラックで来てくれました。
道に迷って「シャスタよりも田舎やん~」と笑いながら玄関を入り、シャスタの水と沢山の材料を携えて12人の生徒の前で何品も作ってくださいました。
その時にキッチンの本棚にあった「自然療法」と言う本に興味を持たれ、「これ貸して~」と言って全頁をコピーして自然療法を実践されていました。

またオーガニックの梅干しを作っている梅おばあちゃんを助けようと、梅干し販売をされていました。
その販売を手伝って欲しいと頼まれ、ベイエリアの友達に情報を流し、私が中継点になったこともあります。
私の周りには共にお料理を学んだり、梅おばあちゃんの梅干しを買ってくれた友達も多くいます。

今考えると、最後になってしまったお料理教室で、きついハグをしました。
「また会えた・・」と言う嬉しさと、何故か「これが最後かも知れない・・」と言う悲しみが心の中で行き交い、お互いに涙で目が潤みました。
その時のAyako さんの顔が忘れられません。

その半年後(2年前の冬)、私の母が膵臓癌に侵された知らせを受け、ショックで何気なくAyakoさんにメールを書きました。
すぐに長い返事を送ってくださり「癌と戦う厳しさ」や「心の葛藤」などを教えてくれました。
同じ頃にAyakoさんのお母様も私の母と同じ病気を患っておられて、数か月間福岡に看病に帰ってられました。
お互いに日本に居て、「日本は寒いねえ~」なんて何度かメールを交換した時に、Ayako さんが「次の夢に向かって準備を進めている。」とおっしゃっていたので、何だろう?と気になっていました。

その半年後・2011年7月に「帰らぬ人となった・・」と娘さんが書いたご逝去をブログで知り、1人で大泣きしました。

Ayakoさんがいつも言ってた言葉。
*身体は食事から作られる
*食養から病気にならない身体を作る


2週間前、マウントシャスタから郵便物が届きました。
大きな封筒を開けると、中からお料理の本が出てきたのです。
著者 Ayako Kojima の名前を見たときに、涙が溢れ、わあわあ声をあげて泣きました。
Ayako さんのスピリットはまだ存在しているのだと感じ、ストン・・と心に落ちたことがありました。
「次の夢・・」と言うのは本を出版することだったのだ、と。

その本はAyako さんの娘さんが送ってくれたものでした。

「母の夢であった料理本がついに出版されました。
食の大切さを1人でも多くの人に届けたい。
病気にならない体作り
すでに病気と闘っている人は
少しでも元気になれるように
母のいろいろな思いが詰まった本です。
楽しんで頂けると幸いです。
私達家族を支えてくださってありがとうございました。
心より感謝を込めて」

本を開けると教室で習ったレシピや新しいレシピなど60品が綺麗な写真付きで掲載されています。
最後のページには、懐かしいAyakoさんの笑顔がVivifyをバックに写っていました。
その笑顔を見て、また号泣・・・

私は彼女のブログの1読者だったのに、ブログを通してご縁をいただき、知り合い、いろんなことを学びました。
彼女の強い生き方に感銘を受け、食事の大切さを認識し、これからの人生について考えさせらました。

Ayako さんの本を手に取って、「今、私が出来ること」を1つずつやってみようと思いました。

一部で公開していた日記をブログにしてもっといろんな人に読んでもらおう、と思えたのは、Ayako さんが背中を押してくれたからだと思います。
それまでにも友達から「一部だけなんてもったいない・・一般に公開したら?」・・と言われていたけれど、勇気がなく、躊躇してなかなか扉を開けられなかったこと。

ありがとう、Ayako さん。
あなたのおかげで一歩踏み出せました。






2012年11月11日日曜日

Swimming

旦那は、自分の家系は水泳が得意なのだと自慢している。
小学生からスイミングチームに所属し、高校生の時には地区大会に選抜された。
従兄弟のビルは全米大会にまでいったそうだ。

そんな旦那の血を受け継ぐ息子は、幼児の時から水を怖がっていた。
お風呂で髪を洗うときに悲鳴をあげて嫌がる。
目にちょっと水がかかっただけでギャーっと泣き出してしまう。
そんな息子を見た旦那は「これは僕の遺伝子ではない・・」とふてくされていた。

もしかして、、私の遺伝子??

確かに私は泳ぎが得意ではない。
平泳ぎは出来るが、クロールのフォームは滅茶苦茶だ。
潜水で泳ぐとなると、窒息しそうな気がしてあまり深く潜れない。
でもカナヅチではないし、息子のように水を怖がりもしなかった。

どっちの遺伝子かは置いといて、息子をなんとかしなくてはいけない。

日本の小学生は夏になると水泳の時間があり、嫌でもプールに入らされ、バタ足から習います。
体育の時間をクリアしていればそこそこ泳げるようになっていくのが当たり前。
全く泳げない子供は少数ですね。
でも、アメリカの学校では水泳を教えません。
プールと言う設備がないのです。
体育の時間(P.E.)に水泳の実技を頼ることは出来ません。
子供の泳ぎに関しては親に全責任がかかってきます。

「息子が全く泳げないのはマズいやん~!」
そう思って息子が5歳の時にスイミングスクールに通わせ始めました。

初日からしくしく泣いて先生を困らせた息子。
2回目のレッスンはプール中に響き渡るほど泣き叫び、水に入りませんでした。
「スイミングには行きたくない!」と嫌がる息子を、毎週引きずってレッスンに連れて行きました。
そこまでしなくても、、と旦那は反対しましたが、ここでくじけたらずっとこのままだと思った私。

心を鬼にして続けた結果、水を怖がらなくなり、泳ぎを楽しめるようになってきました。
年間を通してずっと通い続けました

そして、3年半。

あんな状態だった息子が今では上のレベルになりました。
クロール、平泳ぎ、背泳ぎはほぼ完璧に泳げるので、今はバタフライとフリップターンの練習をしています。
飛びこんでスタートを切る練習も始めました。
息子が泳ぐ姿を眺めながら、「逞しくなったもんやわ~」と感心してしまいました。

そのうち、クロールを母に教えてくれるのかも・?
「ママ、すんごく下手~」と笑われるかもしれませんが・・

時には鬼になることが必要だと学ばせてもらった一件です。

2012年11月10日土曜日

レイキヒーリング

日本で癒しを求めていた頃に興味を持ったレイキヒーリング。
その時ににサードディグリーまでのセミナーを受けました
でも、あまり他人には使わず、この十数年間は自分と家族と近い友人だけにヒーリングをしていました。

「レイキヒーリングって何?・・」とよく聞かれます。
19世紀に、日本の臼井氏が開発したヒーリング方法で、世界各国に広まり、現在は日本に逆輸入された形になっています。

海外では盛んに取り入れられているヒーリング方法ですが、日本での認知度は低いのが残念。
漢字では「霊気」と書きます。
手当て療法とも言われています。
これを聞いて日本人は、何か怪しいもの、怖いもの、宗教的なもの、を想像することが多いと思います。
日本で広まらないのはこんな偏見があるからかもしれません。

でも、欧米諸国ではポピュラーなヒーリング方法として受け入れられています。
Reiki という言葉はコリンズ英語辞典にその意味が掲載されています。
イギリスでは医師の同意があれば健康保険に適応可能なヒーリングメソッドです。
アメリカのアンダーソン癌センターでは代替医療としてこのレイキヒーリングが実施されています。
近所のスタンフォード大学でもその効果が認められ、スタンフォードホスピタルでは癌患者を癒す目的でこのヒーリングが使われています。
このレイキヒーリングはエネルギーのバランスを整える施術方法です。
ストレスを軽減したり、身体がリラックス出来る状態にします。
身体的&精神的な痛み、歪み、滞りがある部分に手を当て、気を流すのは針治療と似た感じですが、使うのは針ではなく「手」。
施行後は気が身体の中を巡り、温泉に浸かった後の気だるい状態になります。

息子は最近アレルギーで鼻が詰まっている時に、私が手を当てると「急に鼻が通った!」とびっくりしていました。
ペットや植物にもヒーリングエネルギーを送ることが出来ます。
食物や飲み物、お風呂にも活用出来ます。
ワインの渋み、コーヒーの苦味を瞬時に取れるので、いつもグラスに手をかざして味を変えている私。
何も知らない友達は「何してるの~?」と不思議そうに眺めていますが・・ 

日本で習ったレイキヒーリングのセミナーを半年前に再度こっちでも受けました。
習ったことの復習がほとんどですが、人との繋がりが拡がり、スピリチュアルなことをバラエティに教わり、ヒーリングエネルギーもアップグレードされて、実りが多い時間でした。

この夏は大阪に帰省した時にマスターディグリーのセミナーを受け、教える資格も取りました。
将来的にはこのヒーリング方法をこのベイエリアで人々に伝えたいと考えています。


2012年11月9日金曜日

サンタさんへの手紙

昨年12月のクリスマス前に、サンタさんに手紙を書いたのかと息子に聞いてみました。
「昨夜書いたよ。」と言う返事。

どこに置いたのかを尋ねてみると、、
「サンタさんは本当はママでこっそり手紙を見てプレゼントを買うんでしょ~」と言われました。

そんな訳ないやん~、手紙なんて読まへんし、プレゼントのことも全く知らんで~、と答えると

「クリスマスイヴにサンタさん用のクッキーとミルクを置く場所に手紙を置いたよ。」と教えてくれました。

息子を学校に送り出してから、その場所を探すと、、、手紙がありました。
でも、小さく折りたたんでいて、テープでガチガチに留めてあります。。
私や旦那が見ないように、、、ということかしら??

何重にも巻かれたガチガチのテープをゆっくりと剥がし、手紙を開けてみると。
そこにはこう書いてありました。

「Dear Santa,

Can you give me DS?

ALSO can you give me a おまんじゅう?」

笑ってしまいました。
おまんじゅうだけ日本語やん。
サンタさんにおまんじゅうをリクエストした息子が可愛くて可笑しかったのです。

そして気をつけて念入りにテープを巻き、元の場所に戻しました。

学校から帰ってきて、真っ先に手紙の場所に走って行った息子。
元のままの手紙を見て安心した顔をしています。
(・・・疑われているなあ~ 私)
クリスマス前にミツワまで車を飛ばし、源吉兆庵で和菓子を買いました。 
イヴの夜、置いてあるクッキーをかじり、ミルクを飲み干して、そっと包みを置きました。
翌朝、起きてその場所まで走って行く息子。
大きい包みはDS,小さい包みは・・・
「やった~、おまんじゅうだあ!」と喜んで踊っていました。
そして今年。
ハロウィーンが終わるとサンクスギビングを通り越してもうクリスマス気分になるのか、昨日また変なことを聞いてきました。
「ねえ、サンタさんはママ?」
違うで~、そんなことないやん・・ 去年は夜通しずっと寝てたし・・
「あのねえ、もうサンタさんにリクエストするものを決めてるの。」と不意打ち。
何?
「おまんじゅう!」

またあ~
「今年はねえ、ママの分もリクエストしてあげる。だって去年ママはもらえなくて可哀想だったから。」
ありがとう~ 優しいねえ~
心がほっこりとなりました。
でもおまんじゅうだけ?
メインは?
まだ時間は十分にあるけど、何を頼むのか、ちょっと楽しみでドキドキ。

開けやすいように手紙を書いてね~
(・・とは言えないけど・・)

それにしても息子は甘党・・
誰に似たのやら?

2012年11月8日木曜日

Vibration of Your Heart

人は何をするために地球に生まれて来たのだろう?

お金を稼ぐ
地位や名誉を築く
後世に名前を残す
子供を育てる
仕事をやり遂げる

1人1人答えは違ってくると思う

私は「愛を感じ、楽しむため」だと思っている
誰かを愛し、誰かから愛され
そして楽しみ、感動することを経験するために
この星に生まれてきたのだと思う

お金や地位や名誉はここを去る時には持ってはいけない
この地球に別れを告げる時に
「あ~楽しかった!」という感動を持って行きたい
愛を感じたハートの振動を持って行きたい

そう思ってずっと生きてきたけれど
2年前の母の死でその思いが強くなった

今という時間は宇宙からのプレゼント
そのために心が感動する何かを日々探している気がする

綺麗なものを見て心が震える瞬間
心休まる音を聴いて涙が溢れる瞬間
美しい景色を見て言葉を忘れる瞬間
美味しい物を食べて感動に浸る瞬間

いろんな事が私の心にチクッと振動を与えてくれる
その感動は私の財産になる

親しい友達、恋人、家族と過ごす時間の中に
同じような心の振動がある
時にはそれが当たり前過ぎて、忘れてしまうことも多いけれど

当たり前ではないことを思い出さないといけない
この時間は二度とやってはこないのだから・・・

そして
今日、今、この瞬間に生かされていることに
全てのものに感謝

有難うございます



2012年11月7日水曜日

Hug と Kiss

日本ではあまり習慣化されていないけれど、アメリカでは知り合いに会えばハグで挨拶をします。

Hug を和訳すると「抱擁」・・になってしまうけれど、そんなに親密でもなく、軽い感覚で握手をするよりも堅くなく、もっとカジュアルな感じ。
「Hi ~!」と言って、腕を回してハグします。

友達に会っても、親戚に会っても、ハグで始まりハグで終わる習慣。
最初はとまどいましたが、郷に入れば郷に従え・・で12年も居ると慣れてきました。

慣れすぎて、、、日本で女友達に会った時に、難波駅の人ごみの多い所で何も考えずにハグをしたら、多くの冷たい視線を感じてしまったことがあります。
感覚がアメリカンになっているのかな・・?

でも、、慣れないこともあります。
旦那の家族は、親子でも兄弟でも、会う時と別れる時にキスをするのです。
普通親しい間柄だと両頬に軽くキスをして挨拶をしますが、頬にチュッ・・ではなく、口と口。
いわゆるフレンチキスで、唇と唇が触れるのです。

初めて旦那と義理ママがキスをしているのを見た時はびっくりしました。
ええ~~! 親子でキス~~? 信じられへん~~!
これぞカルチャーショック。

回を重ねると慣れたけれど、でもやっぱり違和感を覚える私。

先日義理の妹家族に会った時も、旦那と義妹がキスをしている。
う~~~ん。。見慣れたけど、でも、、、「・・・・・。」

別れるときに義妹とハグをした時に、唇が顔に近づいて来るのを感じて咄嗟に頬を向けて壁を作りました。

(私、一応家族ですけど、血の繋がりはありませんよ~)

旦那の家族という郷に入っても、これだけは従えません。

2012年11月6日火曜日

自然派志向

最近よく「年齢不詳」と言われます。
私のことを年下と思ってタメで話してたら年上だとわかり、突然敬語で話されたりする時は結構傷つきます。

「若さの秘訣は何~?」と質問されます。

日本で歯科大学病院に勤めていたころは今よりも老けていました。
13年前のパスポートの写真はまるっきり「おばちゃん」。
仕事に疲れ、恋愛に振り回され、自分の中心がなかった私。
食事には全然気を遣わずお腹に入れば何でもいい、と言う感じで、 毎晩飲み歩き、酒に飲まれ、記憶を失くす日々、・・そして自己嫌悪。
偏頭痛がひどく、よく鎮痛剤を飲んでいました。

身体も心もどんどんボロボロになって行く中で、自分癒しに時間を使うようになりました。
 ヒーリング、マッサージ、ヒプノセラピー、アロマセラピーなどいろんなセミナーに参加しました。
ヒーラー、チャネラー、シャーマン達に会い、リトリートツアーにも何度か参加しました。
ヒーラーやチャネラー、シャーマン達から口々に言われたことは、、、

なるべくオーガニックでナチュラルな食事を摂ること。
自分を大事にすること。
自分の中心を失くさないこと。
その瞬間瞬間を生きること。

ご飯を食べながら何か他の事を考えるのは、その瞬間に生きてなくて、違う次元に自分を置いていることだと言われました。
マウイのカフナからは「ご飯を食べる時はその食べ物の事だけを考え、その作物、太陽、水、お百姓さんに感謝して食べなさい。それがその瞬間を生きるということだ。」と教えられました。

忠実には守っていないけれど、それからは自分を大事にするようになりました。
食べ物はなるべくナチュラルなもの、フレッシュなものを摂るようになりました。
また身体に取り入れるもの(=化粧品やヘアーケアー剤など)も石油系やパラベンを避けて自然のものを使うようになりました。
お酒は相変わらず飲むけれど、酒に飲まれることはなくなりました。
鎮痛剤を取るのを辞め、自然のハーブとホメオパシーで頭痛をしのぐようになりました。
体と心の痛みは習得したヒーリング法で癒したり、周期的なカイロプラクティックの治療を受けて、背骨の歪みを調整してもらっています。
ご飯を食べながら新聞を読んだり、テレビを観たりするのを辞め、 食べる時に「味わう」ことを意識するようになりました。

塵も積もれば山となる・・で、この12年間で自分の生活を見直したら、なんだか前よりも身体の細胞が若返ってきたようで、 肌も綺麗になったような気がします。

日本帰省時にヘアーカットをしてくれた美容師さんが、シャンプーの怖さを話してくれました。
石油系やシリコン系のシャンプーを使っていると有害物質が頭皮から体内に吸収されて小腸に溜まり、それが癌細胞に変わると言うことでした。
シリコンで髪の表面はツルツルになるけれど、髪の中はスカスカだと言う説明。
シャンプーはナチュラルなものを使うように、、とアドバイスを受けました。
「もう使っています。」と答えるとニッコリと笑顔で返されました。

そういえば実家で某化粧品会社のシャンプーを使ったら、次の日に頭が痒くてたまらなくなり、3回使うと「もう使いたくない~」と思うくらいの不快感がありました。
そのシャンプーって有名なブランドで安くはなく、良いモノだと思っていたのに、いつもオーガニックシャンプーで髪を洗っている私にとっては「異物」でしかなかったのです。
昔は、香りが素敵で洗うとツルツルになるから「いいもの」だと思っていたけれど・・。
今の私の頭皮は受け付けませんでした。

私の身体がナチュラルになっているということかしらん・・?



2012年11月5日月曜日

Half

日本では日本人と外国人の両親を持つ子供を「ハーフ」と呼びますね。
1/2と1/2の遺伝子なのでハーフ。

でもアメリカでは「Mixed Kid」 と呼ぶのです。
なんで・・・?

昔、アメリカの開拓時代にNative Americanを除いてたくさんの移民がヨーロッパ諸国から流れて来ました。
それ以降 ヨーロッパだけでなく、アジア、オセアニア、アフリカ、世界各国からも人々が移り住み、彼らは外国人であり、世界各国の血を受け継いでいます。
日本のように一国ではなく、いろんな国の民族が混沌としています。
その人々が血縁を結び、子孫を産み、ハーフでは納まらなくなってMixed になりました。

旦那も例外ではなく、4カ国の血が混ざっているということ。
息子はそうなると4カ国+日本=「5カ国」のミックスになります。
普通に考えれば日本とアメリカのハーフと言うことになりますが・・

息子のルーツをちゃんと覚えておこうと思って、旦那に聞いてみました。

息子は

8/32 チェコスロバキア
3/32 ドイツ
3/32 スウェーデン
2/32 ウェールズ(イギリス)
16/32 日本

と言うこと。

半分は日本人で、あとの半分はいろいろ混ざっています。

なんだかすごいな~~

いつか、息子を連れてこの4カ国を訪れてみたいなあと思っています。



2012年11月4日日曜日

One Decade

10年前、カレッジに通っている途中で旦那と婚約し、卒業後に結婚しました。

「ワイナリーで結婚式を挙げたい・・」と漠然と思ってしまった私。
Napaまで行くには1時間半はかかります。
もっと近い所で・・とSkyline沿いのワイナリーを探しに行きました。
数箇所見学して、どれも気に入らず、最後に見つけたのがWoodside地区にある"Thormas Fogaty Winery"。
自宅から車で30分の場所にあるこじんまりしたワイナリーです。
2人ともゲートをくぐりぬけた瞬間から建物や雰囲気に一目惚れし、そこに決めました。

でも、日本のようにおまかせ結婚式ではなく、ワイナリーは場所を提供するだけです。
ウェディングプランナーを雇えばよかったんやけど、全部自分達で決めたい言う思いから、フローリスト、ケータリング、カメラマン、衣装、ミュージシャン、進行役・・などを探しました

インターネットで候補を絞り、面接をして、最終候補のスペシャリストを決めます。
それぞれのスペシャリストと何度も打ち合わせをしました。
花の種類、置く場所、飾り方などをフローリストと、ケータリング会社とはメニューを決め試食、ミュージシャンの1人にハープ演奏者を選び自宅まで訪ねて曲を選びます。
進行役とバックグラウンドにかける曲の選定と進行の打ち合わせ。
衣装はカレッジの友達に付いて来てもらってアドバイスをもらいました。
みんなの前で披露するダンスは、曲を選び、インストラクターについて2人で練習をしたのです。

私はまだカレッジのコースが終わっていなかったので、毎日山のような宿題とテストがあり、泣きそうになったことが何回もありました。

しかも、アメリカ式の仕来たりを全く知らなかった私。
ゲストからのプレゼントはまず自分達で選んでデパートにレジストすることに驚きました。
花嫁側が親戚一同を招待して結婚式の前の日にディナー会を開くことも知らず、あわててしまったことも・・。

数日前に日本から両親と妹と姪っ子が駆けつけてくれて、結婚式の前の日にリハーサルをしました。
4歳の姪っ子は私のドレスの裾を持ってくれました。
妹はMaid Of Hornor と言う、私の隣で花束を預かったりドレスを直す重要な役割をしてくれました。

バタバタとして迎えた当日。

父と腕を組んで会場に入った時は緊張しました。
結婚の宣誓では、「I do」と言うところで、「I will」と言ってしまい、みんなから大爆笑を受ける始末。
I will なら「今は誓わないけど、将来は誓う・・」みたいなニュアンスらしいです。
食事の席についてからは、みんなと同じくらい食べ、みんな以上にワインを飲み、普通の花嫁らしからぬ態度を取っていました。

最後の1時間はダンス会場と化した会場。
まず最初に花嫁と花婿のダンスの披露をします。
その次に花嫁は父親と、花婿は母親と踊るのがアメリカ式の仕来たりです。
そして、その後はディスコかクラブか、、と言う状態になり、 ウェディングドレスでクラシックやロックやサルサの音楽に合わせてみんなで踊りまくりました。
日本の結婚式では信じられない光景ですね・・。


9月のある日曜日の朝、「Happy 10th Aniversary!」と言って 結婚生活丸10年目の記念に、旦那がハート型のパンケーキを焼いてくれました。
その日は私達の結婚記念日。

あれから10年。

光陰矢のごとし・・早いなあ~。


2012年11月3日土曜日

Open the Door

ほんの3ヶ月のつもりでアメリカ留学を実行した私。
大阪からサンフランシスコに渡り、人生初めての独り暮らしを体験しました。
すぐに日本に帰る予定が、あらあらと言う間に12年が過ぎています。

このまま独身生活まっしぐら・・と覚悟していた矢先に、異国で巡り会ったのは緑の目のアメリカ人。
水が流れるように、ただただ身を任せて、結婚、出産・・を経験し、今は子育て真っ最中。
書くことは好きなので一部の方に日記を公開していましたが、一部だけでは勿体無い!と言う声をあちこちから戴きました。
大阪弁丸出しで、しょうもないことばっかり書いている私の文章を不特定多数の方々に公開するなんて恐れ多いわ~~とためらいつつも、一大決心をしてドアを開けることにしました。

アメリカでの子育て、ヒーリング、ホリスティック、オーガニックフード、旅行のことなどをお伝え出来ればいいなあと思っています。

ナチュラルライフを目差す子育て主婦の独り言・・・サンフランシスコ近郊のエメラルドヒルズからお届けします。