そう思って生きていればライフスタイルを変える必要はない。
そのままで充分なのだから自分の生活をエンジョイすればいい。
私も自分の現状に「ほぼ満足」していた。
仕事の基盤が出来てクライアントさんが徐々に増え、息子の学校のボランティアやアフタースクールのアクティビティに忙しく駆け回る日々。
90%は満足しているけれど残りの10%が満足でないのは、昨日も書いたけれど、英語に対するトラウマがあったからだった。
アメリカに住んでいるのに、他人と英語で喋ることが苦手。
友達からは「流暢に話している」風に見えるのだろうけれど、ネイティブからすれば幼稚園並みのレベルだと思う。
確かに15年も住んでいるとリスニングは上達した。
でも発音とボキャブラリーが全然だ。
実際、こちらの幼稚園児のほうがスラスラと話し、ボキャブラリーだって結構ある。
私のレベルは幼稚園以下、、かもしれない。
人と話すのを避けて尻込みしている自分が情けなかった。
そんな自分が嫌いだった。
「今の英語力で充分」だと、自分でニセの枠を作り、現状に満足するフリをしていた。
このことに気がついた時、一旦その枠を取り払ってみた。
10%の部分、満足度から不足しているのが何なのかが浮き彫りにされた。
「今の英語力は充分ではない」・・ということ。
仕事があるから、習い事があるから、時間がないから、「学校に行けない」と言うのは
全部自分で創った「枠」だ。
それも外すと、自然と「学校に行く」と決めている自分が居た。
どれだけ発音やボキャブラリ-が改善するかはわからない。
どれだけ私の英語のレベルが上達するかはわからない。
他人から見れば「無駄なことをしている」のかも知れない。
でも「英語をもう一度勉強する」ことで、自分の中に塞き止められていた「何か」がゆっくりと流れ動き出した。
情けなかった自分が、少しずつ情けなくなくなってきた。
嫌いだった自分が、ちょっとずつ嫌いでなくなってきた。
他人が無駄だと思っても、私自身にとっては無駄なことではない。
クラスに居て驚くのは、他の国から来た人々が「間違えることを恐れずにどんどん発言している」と言うこと。
お国柄かも知れないけれど、彼らには「間違えて恥ずかしい」という意識はない。
英語を勉強しに来ているのだから「間違えて当たり前」なのだ。
間違えることによって得ることが多い。
私は、間違えることに対しての恐れがいっぱいあるんやなあ・・と気がついた。。
恐れを手放して
「間違えてなんぼ・・」の精神で
「今の私に満足」出来るように
100%に少しでも近づけるように
自分の大切な時間を使おうと思います。
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