2013年10月23日水曜日

ハロウィーン・コスチューム

ハロウィーンはアメリカでは民間行事になっていて、本来の「秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す。」と言う意味よりも、子供達が仮装して家々を回りお菓子をもらう行事として定着している。
毎年10月31日の日暮れと共に、子供達は近所の家に行き、「トリックオアトリート!(お菓子をくれないといたずらをするよー)」と玄関で言って、キャンディやチョコレートなどのお菓子をもらい、次の家に行く・・という楽しい行事だ。
回った家の数だけキャンディがもらえるので、競争するように走り回る子供も少なくない。

毎年10月末のこの行事を前に、仮装のコスチュームを買いにハロウィーンストアーやマーケットに人々が集まる。
小さな子供は着ぐるみ系、女の子はプリンセス、男の子はスーパーマンやスパイダーマンのヒーロー、もう少し大きくなると魔女だったり、吸血鬼や死者の使いなど、可愛い感じから恐い雰囲気へと変わっていくのが面白い。

息子の場合、2歳の時に恐竜の着ぐるみを着た。
恐竜の赤ちゃんがよたよた歩くようにとっても可愛い仮装だった。
そのあとはピーターパンや海賊などおとぎ話の主人公や、コックさん、寿司職人などちょっと変わった衣装も着た。

「今年はどうするん?」と息子に聞くと、「ゾンビになる・・」と呟いている。
「じゃあ、ゾンビの衣装を一緒に買いに行こう。」と言うと
「家にある穴のあいたジーパンとよれよれのTシャツを着て、赤いワックスで顔にメイクアップをする。」と言う。

え~?そんなん、あまり楽しくないやん。。。
「でもそれでいい。」と言い張る。
1度言い出したら聞かない息子。
一緒に衣装を買いに行くのはあきらめた。

数日がたった。
晩御飯を食べ終え、時間が空いたときに私は何故かオンラインストアーでハロウィーンコスチュームを眺めていた。
突然「忍者だー」とひらめき、息子用のNinja の衣装を彼の承諾もなく買ってしまった。
ちょっと大きめなので、来年でも着せればいいわ・・と思っていた。

それから2日後、息子が突然私に言い出した。
「ママ、僕やっぱりハロウィーンは忍者になる。忍者がいい!」
「なんで気が変わったん?」
「レゴのブロックで忍者シリーズがあって、忍者の1人が僕と同じ名前だったから・・」
「ふーん、そうなんや・・」
「ねえ、ママ、忍者の衣装を買いに行こうよ。」

「ちょっと待って・・これ開けてみるから。」
その日にちょうど届いたオンラインストアーの荷物を息子の前で開けてみた。

「はい、忍者の衣装。」
突然差し出されたプレゼントにびっくりしている息子。
「えーー!?ママなんでわかったの?すごーい!」と叫んでいる。
「さあ、ねえー。」
にんまりと笑う私。

ハロウィーンの日は、忍者のように走り回ってお菓子をもらう息子の姿が目に浮かぶ。


2013年10月9日水曜日

I'm home.

テレビのコマーシャルで
私達世代が日本に帰省することを「日本に帰る」と表現し
子供世代が日本に親と同行することを「日本に行く」と言い表していた。

息子はアメリカで生まれ、9年間この土地で育っている。
彼にとっての故郷はアメリカなので、日本へは「帰る」ではなくて「行く」のだと妙に納得した一コマだった。

でも私にとっては・・
日本には「帰る」。
アメリカにもやっぱり「帰る」。
同じ言葉が自然に出てくる。

毎回、関西空港に着くと「帰って来た~」と感じる。
到着してすぐに日本の家族や友達に「ただいま・・」とメールを入れる。
サンフランシスコ空港に到着しても、「戻って来た。」という想いが湧いてくる。
2つの国に挟まれて、それぞれに郷愁を感じる。
自分の居場所が2ヶ所ある感覚。

この夏は6週間を大阪で過ごし、2ヶ月もしないうちにまた戻ってしばらく滞在した。
自分の部屋がまだある実家で「どっちに住んでいるんやろ~?」と不思議な気分になりながら1人で過ごしていた。

3週間を経て、今朝サンフランシスコ空港に到着。

冷たく乾燥した空気。
澄み渡る青空。
眩しい陽の光。
5車線のハイウェイ。

あーカリフォルニアやわ~、、と身体全体で感じる。

裏庭を走る鹿の足音。
リスの鳴き声。
旦那の手の温もり。
息子の笑顔。
そして思いっきりハグ。

「ただいま~!」
帰ってきました・・
3週間ぶりの我が家です。

I'm home.



浸潤

人生は山あり谷ありで
嬉しい時もあれば、悲しい時もある。
その凹凸を経験し、学びや気づきを自分の中に蓄積する。

いろんな場面で、その時その時を一緒に過ごす人がいるけれど
悲しい時や落ち込んだ時に支えてくれる人が
本当に大切な人なのだと思う。

3年前の母の死、そして今回の父の死を経験し
心の底から実感したことだった。

ただ黙って側に居てくれる。
気遣いの言葉を短いメールで送ってくれる。
お花やカードをそっと届けてくれる。

カラカラに乾いた砂の上に、雨水が一滴落ちるように
親切、思いやり、励ましが、
私の心に滲み入り、溶け込む。
空虚感が、少しずつ和らいでいくのを感じる。

人の心ってなんて温かいんだろう。
その温かさがハートの真ん中に伝わってくる。

有り難い・・
有り難い・・

この地球に私は1人ではなく、
沢山のサポートを受けて生かされている・・と言う事を、改めて知る瞬間。
戴いたいろんな形の愛に、感謝の気持ちでいっぱいになる。



2013年10月3日木曜日

伝言

父のお通夜の10分前にアメリカから到着した旦那と息子。
彼らも無事参列し、葬儀も滞りなく終わった。

アメリカに戻るまでの数日間は母のお墓参りに行ったり、大阪市内や京都を散策した。
息子の大好きなお寿司を食べ、最近流行りの有機野菜やお惣菜が食べ放題のビュッフェレストランに行き、美味しいお好み焼きを食べたり・・と、お腹を満足させて2人はベイエリアに戻って行った。

私は後片付けの為にもう1週間残ることにし、3年たってようやく手をつけられるようになった母の遺品を整理している。

父の葬儀が終わるまでは毎日泣いていた私だったけれど、涙はピタッと止まった。
泣かなくなった。
父が側に居るのを身体で感じたからだ。
幽霊・・と言うと怖いけれど、そうではなくて、父の魂=スピリットが見守っていてくれるのがわかる。

それを証明するように、ある方がメッセージを届けに来てくれた。
彼女は”チャネラー”で、スピリットと交流が出来る。
葬儀の席で父が彼女に語りかけてきた話を伝えてくれた。

彼女が知らない私が子供だった頃の情報も含めて、父が私達に伝えたい事。
父は元気であちらの世界に旅立ち、母とも再会して、私達のことを心配しているらしい。
静かに私達の側にいて見守っていてくれる。

「やっぱりそうやんな~」・・と安心してしまった。

父が亡くなる3日前に、「魂は永遠で、何度も生まれ変わる。」・・と言うことを話したら、父はとても怖がって受け入れようとしなかった。
耳を貸さなかった。
ただただ拒否をされた。

でも、父があちらの世界から彼女を通じて私に伝えてきたことで、私は間違っていないことが証明されたような気がする


人間はこの物質界で何かを学ぶために生れ落ちる。
この肉体は一時の借り物で、死を迎えると抜け殻になる。
魂は肉体から離れても終わることはなく、次元の違う世界でまた新たな修行が始まる。

目に見えるもの:「物質」は本当は確かではなく、重要でもない。
物質界という世界に居るので、見えるものだけが確かで重要だと錯覚させられる。
でもあちらの世界に移行するときには、物質は何1つ持って行くことは出来ない。
目に見えないもの:心、感謝、思いやり、愛・・が物質よりも大切で重要な事。

でも人間は産声をあげる時に、この大切な事を忘れてしまう。
この大切な事を忘れている人がほとんどのこの世の中。
あちらの世界に行くと、このことを思い出すらしい。

父のように・・・

見守っていてくれて、ありがとう。







2013年10月1日火曜日

喪失感

「その日」がいつ来るのかは誰にもわからない。

突然、やってくる。

親が居て当たり前・・という空間から突然弾き出される。
生れ落ちてからその時までしっかりと結びついていた糸が、バッサリと切られて宙ぶらりんになる。

祖母や祖父が亡くなった時にも悲しかったが、父や母が親を失った悲しみを理解することは出来なかった。
祖母の葬儀では母と一緒に泣いていたけれど、母と私とでは悲しみの深さが違うことを知らなかった。
友達の親御さんが亡くなった時にも落ち込んだが、彼女の真の喪失感をわかってあげることは出来なかった。

親を亡くす・・という出来事は、当人になって初めて、言葉では言い表せない悲しみが付きまとうのだと知った。

誰もがいつかは通る道なのに、誰も教えてくれない。
自分が経験してみないと、上辺だけのことしかわからない。

親孝行は、親が存在しているからこそ出来るものなのだと、親を失ってから気づく。
親の存在に感謝しないといけないのに、居なくなってから初めてその想いが溢れてくる。

居てくれて、ありがとう・・・
見守っていてくれて、ありがとう・・・

失ったのは、途方もなく、果てしなく、私にとってはかけがえのない、偉大な存在だった。