2013年4月21日日曜日

読者

物心ついた時から「日記」を書いていた私。
きっかけは小学1年生の絵日記の宿題でした。
絵日記の宿題が終わっても、母に日記を続けるように言われました。
「毎日続ける事が大事やから辞めたらあかん・・」と言われ、「なんで~?」と思いながらも渋々書いていました。

「今日は○○ちゃんと遊びました。楽しかったです。」
「今日はいいお天気でした。よかったです。」
小学1-2年生の子供が書く言葉は知れています。
毎日同じことを繰り返しながら次第に書くことを学び、毎日の日記を中学1年生まで続けました。

また、日記という形ではないけれど、日々の想いを文字に表すようになりました。
誰かを好きになったこと
友達関係で悩んでいること
傷ついたこと
嬉しかったこと

自分の心を文字に変えて表現します。
書くことが楽しく、文章が勝手に飛び出してくるのです。
文字に表して、それを読み、客観的に自分を見つめることで、自分の心が落ち着きました。
一種の自己セラピーみたいなものかもしれません。

今考えると、何年も日記を続けたことが「書くこと」の基盤を培ってくれたのだと思います。

時々「自分ではない、もっと大きな存在から言葉を戴いている」風な文章を書くことがあります。
どこからそんな思考が湧いてくるのかわかりません。
私の想いを超えて、高い次元からメッセージをもらっている感じです。

好きの反対は、嫌いではなく、無関心。』
これは高校生の時に書いた一行なのに、未だにはっとさせられる言葉。

無の状態で書くと、言葉が自分の外側から心の中心に入ってきて、手が勝手に動くのです。
書いた後で、読んだ私もびっくり。
「これ私が書いたん・・・?」
私もただの読者になるのです。

私のアメリカでの生活、子育てのことなどを誰かとシェアーしたいと思い、一部の方々に公開していた日記が、時間を経てこうやってブログという形になりました。
書いている記事が全部そうではないけれど、時々私でない私が文章を書くこともあります。
私も読者の1人となり、自分のブログを読んで、笑ったり、感心したり、「あ、そうか~」と大切な事に気付くのです。

地球のどこかの誰か1人だけでも、心が和んだり、「あ、そういう考え方のあるのね・・」と選択を広げたり、私と同じように何かに気付いてくれたら・・
そんなことをシェアーしたくて、書いているのかもしれません。


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