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2013年10月23日水曜日

ハロウィーン・コスチューム

ハロウィーンはアメリカでは民間行事になっていて、本来の「秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す。」と言う意味よりも、子供達が仮装して家々を回りお菓子をもらう行事として定着している。
毎年10月31日の日暮れと共に、子供達は近所の家に行き、「トリックオアトリート!(お菓子をくれないといたずらをするよー)」と玄関で言って、キャンディやチョコレートなどのお菓子をもらい、次の家に行く・・という楽しい行事だ。
回った家の数だけキャンディがもらえるので、競争するように走り回る子供も少なくない。

毎年10月末のこの行事を前に、仮装のコスチュームを買いにハロウィーンストアーやマーケットに人々が集まる。
小さな子供は着ぐるみ系、女の子はプリンセス、男の子はスーパーマンやスパイダーマンのヒーロー、もう少し大きくなると魔女だったり、吸血鬼や死者の使いなど、可愛い感じから恐い雰囲気へと変わっていくのが面白い。

息子の場合、2歳の時に恐竜の着ぐるみを着た。
恐竜の赤ちゃんがよたよた歩くようにとっても可愛い仮装だった。
そのあとはピーターパンや海賊などおとぎ話の主人公や、コックさん、寿司職人などちょっと変わった衣装も着た。

「今年はどうするん?」と息子に聞くと、「ゾンビになる・・」と呟いている。
「じゃあ、ゾンビの衣装を一緒に買いに行こう。」と言うと
「家にある穴のあいたジーパンとよれよれのTシャツを着て、赤いワックスで顔にメイクアップをする。」と言う。

え~?そんなん、あまり楽しくないやん。。。
「でもそれでいい。」と言い張る。
1度言い出したら聞かない息子。
一緒に衣装を買いに行くのはあきらめた。

数日がたった。
晩御飯を食べ終え、時間が空いたときに私は何故かオンラインストアーでハロウィーンコスチュームを眺めていた。
突然「忍者だー」とひらめき、息子用のNinja の衣装を彼の承諾もなく買ってしまった。
ちょっと大きめなので、来年でも着せればいいわ・・と思っていた。

それから2日後、息子が突然私に言い出した。
「ママ、僕やっぱりハロウィーンは忍者になる。忍者がいい!」
「なんで気が変わったん?」
「レゴのブロックで忍者シリーズがあって、忍者の1人が僕と同じ名前だったから・・」
「ふーん、そうなんや・・」
「ねえ、ママ、忍者の衣装を買いに行こうよ。」

「ちょっと待って・・これ開けてみるから。」
その日にちょうど届いたオンラインストアーの荷物を息子の前で開けてみた。

「はい、忍者の衣装。」
突然差し出されたプレゼントにびっくりしている息子。
「えーー!?ママなんでわかったの?すごーい!」と叫んでいる。
「さあ、ねえー。」
にんまりと笑う私。

ハロウィーンの日は、忍者のように走り回ってお菓子をもらう息子の姿が目に浮かぶ。


2013年9月16日月曜日

ホメオパシーのレメディ:アコナイトその2

昨夜、息子が咳き込んでいました。
「喉の奥が痛い~」と言います。

「いつから痛いのん?」
「今日のお昼頃から・・ ママ、お薬ちょうだい~」

ウチでお薬と言うとホメオパシー。

お昼からとなると、まだ8時間ぐらい・・
兆候が現れて24時間以内なら効果を発揮する「アコナイト」かな・・と思ってそれを選びました。
容器を回して息子の口に一粒を入れます。

「今日は早めに寝るのよ~」と言うと、
「うん、おやすみ・・」といつになく素直に、8時半にはベッドにもぐっていました。

翌日、朝からすっきりした顔で息子が起きてきました。

「ママ、もう喉は治ったよ。咳も全然出なくなった。」

「あ、お薬が効いたんやね。よかったね~」

「うん。ママはお医者さんよりすごいね。」と息子が褒めてくれました。

世間では賛否両論のホメオパシー。
いろいろ意見はあるけれど、ウチでは効果絶大。

医療費が高いアメリカでは、これがないと不安になります。

重宝しています。



関連記事:ホメオパシーのレメディ:アコナイ




2013年4月14日日曜日

息子の花粉症

先週、強風でエメラルドヒルズ一帯が停電がした日からベイエリアはかなりの量の花粉が飛び始めました

私は平気なのに、息子の症状がひどいです。
今まではたまにくしゃみをするぐらいで「花粉症?たまたま?・・」なんて思っていたけれど、月曜日の午後に学校に迎えに行くと目を擦ったり、鼻水が止まらず、咳が出て、くしゃみが止まらない状態。
これは花粉症やん~・・と思いました。

夕方、水泳のクラスに連れて行くと、2往復泳いだだけで「頭が痛い・・」と泣き出して上がってきたのでコーチに相談すると「Sinus Headache と言う鼻詰まりから来る頭痛だと思うので今日は帰ったほうがいい。」と言われました。

家に帰って来て、すぐに何冊かのホメオパシーの本を調べます。
その中で息子の症状に一番合っているレメディを一粒飲ませました。
しばらくすると頭痛は治まったようで、かなり元気になってきた息子。
鼻水はひどかったけれど、ちゃんと夕飯を食べてお風呂に入り、早めに寝かせました。
翌朝も鼻水が出ていたけれど、頭痛はなかったので学校に行きました。

日本に居た頃にスギ花粉症に悩まされた私は、その頃やっていた花粉症対策を思い出しました。
花粉を身体や家の中に入れない、持ち込まない、残さない。窓は開けない。
家中に掃除機をかけました。
息子のベッドのシーツや枕カバー、ブランケットなどは全部洗濯。
外に出る時はマスクをしたほうがいいけれど、誰も学校ではしていないので「したくない」と言うのでジャケットのフードを被り手で鼻を覆うようにして花粉をあまり吸わないように・・と注意しました。
学校に送りながら「家に入るときは花粉を払ってね。」と息子に伝えます。
同様に旦那や私も花粉を家に持ち込まないように気をつけないといけません。

ひと段落してからホメオパシーの本の花粉症についての説明をじっくりと読んでみました。
いろんなレメディが書かれてありますが、注釈として「最も大切な事は体質改善」と言う欄を読み、毎日の食事について考えさせられました。

マクロビオティックを再度学び始めた事もあって、我が家はご飯は玄米、パスタは玄米パスタ、お肉を減らし魚介類を食べ、野菜も数多く摂るようにしています。
でもそれで本当に「健康的な食事」なのかは疑問でした。
小麦粉、特にパンは食べます。
肉は回数は減ったにしても食べています。
牛乳は飲まないけれど、チーズなどの乳製品や卵は食べます。
与えるおやつは砂糖ゼロではなく、アイスクリームや生クリームが大好きな息子。
息子の花粉症対策と共に、我が家の食事について1から考え直すきっかけかも・・と思いました。

この数日間は花粉症の経験者や食のエキスパートの方々から話を聞き、息子の花粉症についてのアドバイスを戴きました。

アレルギーやアトピーの症状は、摂取した食品が排出されずに体内に溜まった結果で、体内に溜まって身体に有害な毒に変化します。
毒が出る場所がなくなるので、発疹や鼻水となって体外に出てくるということ。
こういう場合は排毒出来ない食品を摂らないことが一番で、それと共に排毒を促す対策を考えるのが大切なことだと伺いました。

*排毒されずに体内に溜まる食品としては「乳製品」。

日本人はラクトース分解酵素を持っていない人が多く、このタイプは乳製品を摂るのを避けるほうがいいみたいです。
最近息子は牛乳を全く飲まなくなったけれど、ヨーグルトとチーズは食べています。
それに息子が大好きなアイスクリームも乳製品。
これからは禁止だと告げると「僕の身体が良くなるんだったらアイスクリームを我慢する。」と言ってくれました。
月曜日の頭痛は彼にとってはかなり堪えたよう・・。

*排毒を促す食材としては「大根」。

大根の葉っぱは排毒効果が高いので捨てずに使います。
また、切り干し大根は古い毒素を押し出す力があるそう。
さっそく大根を買ってきて、スープに入れたり葉っぱの塩麹漬けを作りました。
今月のお料理教室で習った切り干し大根とアプリコットのサラダを作ったら、息子が美味しいと言って食べてくれました。

*春に出てくる少し苦味のある葉野菜が排毒作用を助ける。

前回の記事「東洋医学とマクロビオティック」でも記載したように、春の山菜、春菊などは排泄を助ける作用があります。
庭にヨモギが生えているので、少し取って来てお料理に使ってみました。
量が多いと苦いけれど、少しだけ混ぜるとわからないみたいでした。

*発酵食品の酵素が胃や腸の中で働き、消化を助けてくれる。

味噌汁、塩麹で漬物を作ったり、甘酒レシピをデザートに取り入れようと思っています。

*血液をアルカリ性に保つ食品を摂るように心がける。

血液が酸性に傾くと血液がドロドロになり、自然治癒力が低下します。
今まで以上に野菜を沢山取り入れた献立を考えたいと思いました。


健康にいいもの、栄養のあるもの、、と思って摂っていた食品が、実は健康を損なうものかもしれないと知り、「真実は何?」と四苦八苦している私。
家族の健康を守る上で、台所を任される主婦の責任って大きいなあ・・と感じました。

2013年3月24日日曜日

カリフォルニアロール

息子の学校で「ティチャーズ・アプリシエーションランチ」と言うボランティアがある。
1ヶ月に1度、担当の学年の保護者が先生やスタッフ32人分のお昼ご飯を分担して配給するサービスだ。

今月は息子の学年がその当番だった。
今週の木曜日にサインアップした20人の保護者が、肉料理、魚料理、野菜料理、サイドディッシュ、サラダ、デザート、飲み物などを担当し、8人分のお料理を持って行く。

1ヶ月前に同じクラスのDくんのお母さんとランチサービスの話をしている時に、
「あなた、お寿司が作れるでしょ。お寿司を出したらいいと思うわ~」と言われた。
「お寿司って言ったって、生の魚はあかんやん・・」と反論すると
「じゃあカリフォルニアロールなんてどう?いいんじゃない~それにしましょう。」と返され
「ロールのお寿司はあんまり作ったことないねんけど・・」と言うと
「日本人なんだから作れるでしょ。大丈夫よ~」と笑っている。
日本人はみんな巻き寿司を作るのが得意だと思っている。

そんなことない。。。
得意な人もいるだろうが、私は得意ではないので普段から作らない。

でも期待されて、サインアップした私もお調子者だった。

当日は朝からご飯を炊いて寿司飯を作り、海苔、アボカド、蟹カマ、ゴマを揃えた。
何年ぶりかで作ってみると全然上手く作れない。
具が中心にいかない。
ご飯同士が上手く繋がらない。
端っこから具がはみ出てくる。
繋がっていない箇所に寿司飯を足したり、端っこからはみ出た具を中に押さえ込む。
悪党苦戦した挙句にようやく11本のカリフォルニアロールが出来た。

2本分は息子と旦那のランチ。
1本分はDくんのお母さんへのおすそ分け。
8本分のカリフォルニアロールを切ってパーティ皿に並べワサビとお醤油を添えた。

11時前に学校に届けに行った。
スタッフルームにはもう既にカレーやグリルドサーモン、サラダなど美味しそうなお料理が並べられていた。
「私も食べたい・・」なんて思いながら、部屋を出てきた。

学校が終わってお皿を取りに行くと、空っぽだった。
お皿を持っているとオフィスマネージャー(秘書)が私の側に来た。
「あなたこれ作ったの?」と言われ
「そうよ。」と応えると
「素晴らしいわ~ とっても美味しかった。」と褒められた。

よかった。
悪戦苦闘した甲斐があった。
なんとなく嬉しくなった。

それからDくんのお母さんを探したが、すれ違いになったのか見つからなかった。
息子を迎えに行き、車に乗せると「ママ、お寿司とっても美味しかったよ。」と言われた。
「ありがとう。8切れ、全部食べたん?」と聞くと
「食べた。でもまだお腹がすいてる。」と返された。

Dくんのお母さんにあげようと思っていた分を見せて「食べる?」と聞くと、目を輝かせながら「うん!」と手を伸ばす息子。

その日はミニマムディ(=短縮授業)だったのでお昼ご飯を食べてからまだあまり時間が経っていないのにガツガツとカリフォルニアロールを食べている。
あっという間に7切れを平らげた。
お弁当の分を入れて15切れ。
この食欲には感心してしまった。

その夜は晩御飯もちゃんと食べて、ベッドで息子に本を読んでいた時のこと。
急に息子が「ママ、お寿司ってすごいねえ~」と大声で私に言った。
「どういう事?」と聞くと
「美味しいし、海苔も入ってるし、いろんな魚や野菜が入ってるもん。考えた人はすごいねえ。」と言う。

「そうやねえ。でもその食欲のほうがもっとすごいと思うわ~」と言うと
「また、すぐに作ってね。」とリクエストされた。

う~~ん・・・
悪戦苦闘はしばらく遠慮したいなあ。




2013年2月23日土曜日

合気道

始業の鐘が「カーン!」と鳴る。
それまではボールで遊びワイワイと騒いでいた子供達が一列に並び正座をする。

先生を前にして道場の中で黙祷。

騒がしかった場が静かになり、シーンとした時に何かと繋がった雰囲気になる。
祭壇に向かって手を叩き、深々と頭を下げる。
「ヨロシクオネガイシマース。」と声を掛け合いクラスが開始される。





息子が通っている合気道の道場だ。

ずっと前から、息子に日本の精神を学ぶ何か「道」を習わせたいなあと思っていた。

「道(どう)」とは・・?
高い精神性をもって、人としての道(みち)を追究する意味を持つ。
日本における価値観。
哲学とも言われ、一つの物事を通じて生き様や真理の追究を体現することや自己の精神の修練を行う事。
  • 武道 - 剣道・柔道・弓道・空手道・合気道・相撲道など
  • 芸道 - 茶道・華道・書道・日本舞踊など
これらは手段は違うが、人間性を高める目的は同じである。
                                             -Wekipedia より-
 
       
アメリカで日本の礼儀作法や精神を学ぶ場所があまりなく、半分は日本の血を受け継ぐ息子に紹介する機会がなかった。
武道場に通って礼儀を学びながらセルフディフェンスを習得させたいなあ・・と以前から考えていた。

Redwood City にある合気道の道場を見つけ、2年前に体験したものの、その時はまだ準備が出来ていなかった息子。
「戦いは嫌だ~」の一点張りでいくら説明をしても聞かず、諦めた私。

去年の暮れにもう一度訪れてみると、友達がいる事で息子が興味を示した。
それで今年から通い始めた合気道のクラス。
最初は渋々通い始めた息子だったが、白い道着が気に入り、レッスンの内容も楽しいので今では週に2回のクラスを心待ちにしているようだ。

指導は日系アメリカ人で合気道6段のシンディ先生と、白人で合気道4段のアレックス先生。
先生の口から日本語がよく発せられる。
 
「イチ、ニー、サン、シー」という掛け声。
「ハラ」「センパイ」「ムネ」など数々の日本語が道場に飛び交う。

道場に入る前に上座の祭壇に向かって一礼してから入る。





普段はおじぎをする習慣を持たない子供達が、この道場では誰もが日本人らしく礼儀正しい。
(家でもこんなに礼儀正しかったらいいのに~・・と思ってしまう。)

息子が気に入っているのは基本のポーズや技を、ボールや大きな輪を使って遊びの心を取り入れながら学べる・・ということだ。
ボールを抱えて転がりながら腹筋を使って起き上がる受身を学ぶ。
大きなバランスボールを叩いて相手に渡しながら「衝き」のポーズを習得する。
フラフープのような輪を2人で対面して持ち、「取り」と「受け」の呼吸を学ぶ。

先生方は、子供達が楽しみながら合気道の技を身に付けることに神経を使っているように感じた。






クラスを受けているのは日本の血を受け継ぐ子供もいるが、国、性別に関係なくあらゆるバックグラウンドを持った子供達が日本の精神を学ぶために通っている。
それもみんな楽しみながらクラスを受けているようだ。

クラスの最後にもう1度一列に並んで正座をし、黙祷。
姿勢の悪い子はシンディ先生に背筋を伸ばすように注意されている。

祭壇に向かって手を叩き、深々とお礼。
「ドウモ、アリガトウゴザイマシター。」

感謝の気持ちを言葉にして、クラスが終わる。
一瞬、ここは日本?・・と錯覚してしまいそうだ。

白帯の息子は「早く黄色い帯になりたい。」と、色の違う帯に憧れを抱いているようだった。
「すっごく楽しい。毎日通いたい。」と言っている息子。

ちょっとは日本の心を学んでくれてるのかなあ、、と前向きな息子に嬉しい私。
(2年待った甲斐があったもんやわ~)


Aikido West
http://aikido-west.org/children.html

3164 Bay Road
Redwood City, CA 94063
(650) 366-9106


2013年2月9日土曜日

お弁当

アメリカの小学校は日本のように給食がない。
ほとんどの子供はお弁当を持参する。
学校にはカフェテリアがあって、お弁当を持っていない子供はそこでランチを買う。
ホットドッグやハンバーガー、ピザなど、いかにもアメリカンな食事内容だ。
最初のうち、息子は喜んでカフェテリアでランチを買っていた。
しかしだんだん飽きてきて、「カフェテリアよりもお弁当がいい。」と言うようになってきた。

なので毎日早起きして、お弁当を作る。
パスタの時もあれば、サンドイッチを作ったり、おにぎりで和食の日もある。

最近お弁当を半分ぐらい残して帰って来る日が続いた。
「食べる時間がないの~?」と聞くと
「みんなと遊びたいから少なく作って。」と頼まれた。
「遊ぶのは食べてからね。」と注意したが、あまりギューギューに詰めるのは止めた。

またある日のこと、息子からリクエストがあった。
「ママ、おにぎりは三角の形がいい。」
今までおにぎりは俵型を作っていた。
「なんで~?」
「だって俵型おにぎりだとみんなが「スシ~!」って叫ぶんだもん。」
「ええやん、別に~」
・・っと言っても譲らないので、リクエストに応えて三角おにぎりにした。

なんやかんやとリクエストが多い息子。
しかしキッチンに戻ってきたお弁当箱が「空っぽ」だと嬉しくなる。
「ママ、お弁当美味しかったよ~」っと言われると、更に嬉しくなる。
明日も早起きして作ろう・・って言う気になる。

きれいに食べてくれて、ありがとう。


2013年1月26日土曜日

一番特別な日

怒鳴るのはよくない・・とわかっている。

一度言っただけでわかってくれるのならどんなに楽だろう、、と思いながら息子の行動、習慣、しぐさのあれこれについて注意をする。

「宿題をしなさーい。」「家の中では靴を脱いで~。」「家に帰ったら手を洗って~。」「脱いだ服は片付けてー。」
私が言った言葉は右から左で、何も耳にはいっておらず私の努力は水の泡となり、今日もまた同じことの繰り返し。

ったくーー。
ブツブツ・・・
炎の燃えカスのようなものが行き場もなく私の中に溜まっていく。
溜まって、溜まって、ついに爆発して、怒鳴ってしまう。

・・・・怒鳴った後で後悔。
自己嫌悪に包まれる。

そのあとで「ママ、大好き。」なんて息子に言われると、「怒ってごめんな~」と謝り、ハグをして、暗い気分はふっとんでしまう。
(息子は私の扱い方をよく心得ているみたいだ・・)

そんな日々の繰り返し。
まるで飴と鞭。
子育てって、なんて難しいんだろう。

しかし何をされても許してしまう一日がある。
365日の中で1日、誕生日の日。

今日の息子はバースディボーイ。
言うことを聞かなくても、我がままを言っても、「はいはい・・」と王子さまのように扱う。

毎年この日は、生まれた時のことを思い出しながら、息子の存在に感謝する。

生まれてきてくれてありがとう。
私を選んできてくれてありがとう。
一日に何度も心の中で唱え、彼が誕生してから今日までのことを考える。

そうすると私が日頃ブツブツ言ってる小言が、どうでもいいようになってくる。
健康に育ってくれることが一番の親孝行。

今年の誕生日会は4人の友達を家に招いてのお泊りパーティだ。
現在、5人のボーイズは120%エキサイトしてパジャマ姿で遊びまわっている。

いつになったら寝るのかな・・
なかなか静かになりそうにないな・・
今日は獅子座の満月。

王子さまの時間はもうあとわずか。


2012年12月27日木曜日

Nutcracker

毎年12月になるとスタートするサンフランシスコバレエ団のくるみ割り人形の公演。



息子が3歳の時に初めて家族3人で観に行った。
退屈するかと思いきや、真剣に、かぶりついて観ていた息子。
「Nutcracker」が大好きになり、チャイコフスキーのくるみ割り人形のCDを3ヶ月間毎日車の中で聴いたり、くるみ割り人形の公演DVDを目にタコが出来るくらい毎日観ていた。

それからずっとウチの恒例行事となった12月のバレエ観賞。
他のバレエには興味がなく、これだけが特別らしいのだが、息子にとっては外せないらしい。

8月になるとチケットが売り出される。
リピーターは一般発売の前にチケットが買えるので、夏になると息子に「12月のNutcracker、今年は行くん?」と聞いてみる。
「もちろん~」と言う答えが今年も返って来た。

1ヶ月近くの公演日程の中には「ファミリーパフォーマンスディ」と言って先着200人の子供達にお土産やクッキーをくれたり、バレリーナ達との写真撮影が出来る特別な日が設けられている。
普段はその特別な日を狙ってチケットを買うのだが、今年は私が12月の前半を日本で過ごした為に日程的に無理だった。
仕方がないのでクリスマス後の日程で検索し、前から2列目のど真ん中の席が4つ空いている日を選び、友達の分も一緒に購入した。

昨日、友達親子と4人で観に行ってきた。
8歳の息子と友達のSくん。
2人ともスーツを着て、ネクタイを締め、凛々しい姿だ。

早めにサンフランシスコに行って、オペラハウス近くのパーキングに車を停め、近くのレストランで晩御飯を食べる。
公演が7時からなので4時ごろレストランに入った。
まだお腹はすいていない。
友達とワインを頼み、クラブケーキとサラダをおつまみに飲み始めた。
息子とSくんはハンバーガーをかじりながら2人で内緒話をしたり、本やゲームで遊んでいる。

時間が余りすぎるかなあ~と思ったのに、調子に乗って飲んでいたら開演の時間が迫ってきた。

劇場に入るとワインやシャンパンを片手に飲んでいる人達、お土産のくるみ割り人形を買っている人達、、、どの人もドレスアップして年末の夜を楽しんでいる。
子供達も沢山いて、ドレスやスーツを着て大人の仲間入りをしている。
サンフランシスカンにとってこのショーは特別な行事なのだと改めて感じさせられる。





私達が座った席はオーケストラのすぐ後ろなので、楽器や演奏者がよく見えた。
またダンサーからも近いので表情や息遣いが手に取るように判る。
舞台全体が一度に見渡せないので、ステージを一瞬で把握することが難しいが、息子も友達もとても満足してバレエに没頭していた。

もちろん、私も。。。

わずか数分のステージに、プリマドンナ、プリンシパル級のダンサーが入れ替わり立ち換わり登場して息を呑む踊りを披露する。
バレエをあまり知らない私だが、感動の連続だった。

フィナーレ近くになると感動して胸がいっぱいになり、涙が溢れそうになった。
隣の息子がそっと私の手を握り「ママ、今年も連れてきてくれてありがとう。」と言ってくれた。
私も「一緒に観てくれてありがとう。」とお礼を言った。

息子がいなかったら毎年は来ていないかもしれない。
8月にチケットを買うときは「今年で最後かなあ・・」と考えながら毎年購入する。

でもこんなに感動するバレエは、来年も観に来たい。
やっぱり、、ええわあ~


12月のサンフランシスコ。
オペラハウスの向かい側のシティホールはまだクリスマスライトアップで「おとぎの国の世界」になっていました。










2012年12月25日火曜日

クリスマスプレゼント

1ヶ月前に、「サンタさんにママの分のおまんじゅうもリクエストしてあげる~」と言ってた息子。

その言葉をすっかり忘れてしまっていた。

私が日本から帰ってきて3日後、旦那に「サンタクロースへの手紙はどうなったん?」って聞くと、「知らんで~」と言う返事。
私は12月17日に日本から帰って来たんやから、それまでに息子に手紙を書かしてプレゼントの手配をしておいて・・と頼んでいたのに。
何も進行していない。

12月20日の朝、息子に「サンタさんに今日中に手紙を書かないともう手遅れでプレゼントはもらえないと思うで~」・・と伝えた。
学校に行く前にあわてて手紙を書き、North Pole に送って、、と頼む息子。
速達で送ったら間に合うかも・・と車の中で告げると、安心したように学校に出かけていった。

息子を学校にドロップした後、そっと手紙を開けると英語でゲームをリクエストしている。
おまんじゅうに関するは記載なし。

(でも、もう日本で買ってきたで・・・)

慌てていたからしょうがないか~

即効でアマゾンでゲームをオーダーする。

この数日間はラストミニッツショッピング・・で義理パパのプレゼント、旦那へのプレゼント、息子のクリスマスソックスに入れるプレゼントなどを買いに行く。

親戚一同のパーティは今回は前菜担当なので、チーズやディップソース、チキンパテ、クラッカー、サラミ、ミートボール、野菜、果物なども仕入れる。
日本で2週間のブランクがあっただけに、追い込みであちこちを走り廻った。

バタバタで迎えたクリスマスイブ。
幸いにも、サンタからの息子へのプレゼントは間に合った。
息子が寝た後に、使っていないラッピングペーパーを引っ張り出して来て包む。
筆跡を変えてラベルを貼る。
包んだ後も直前までひたすら隠した。

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昨夜、1時過ぎにサンタが来たようで、、、プレゼントを置いていった。
クリスマスソックスの中にはおまんじゅうも入れてくれていた。

今朝、息子が恐る恐るクリスマスツリーに近づいて行き、サンタが来たらしい気配を感じると飛び上がって喜んでいる。

サンタ用のクッキーのテーブルを見て、プレゼントの束を見つけて踊りだした。
靴下を覗き込んで、おまんじゅうを発見して、また飛び上がった。
「わっっ、僕のにも、ママのにも、おまんじゅうが入っている!」とびっくりしている。

「でも、、なんでサンタさん、わかったのかなあ~ おまんじゅうの事・・」と私に聞いてきた。

コーヒーを煎れながら、「なんでやろねえ~~」・・と答えた。

その後、ツリーの下にある旦那へのプレゼント、私へのプレゼントを開けて、朝食を食べた。
サンタさんが今年も来てよかったね~と息子と話した。




2012年12月24日月曜日

クリスマスイブ

日本と17時間の時差があるカリフォルニアは今日がクリスマスイブ。
もう少しで真夜中になる。

夕方から親戚一同のファミリーパーティに参加するために1時間車を走らせてイーストベイまで行って来た。
アリゾナの従姉妹家族も来ていて、30人ほどの賑やかな集まりとなった。

私は前菜を持って行き、到着するなりワインを開けてみんなと乾杯をする。
パーティをホストしているサンディの息子が去年大学を卒業してワイナリーに勤めている。
そのワイナリーのいろんな種類のワインを持って来て、味見させてくれた。
キッチンカウンターがテースティングルームに早変わりし、みんなでいろいろと飲み比べた。
ゲストが持ってきたワインもあれこれ飲んでみた。
息子は子供グループに入って、レゴで遊んだり廊下でサッカーをしてはしゃぎまわっている。

ディナーはビーフステーキとローストチキン、サラダ、パスタ、野菜ディッシュ、ガーリックブレッド。
叔母様、叔父様と近況を話したり、義理パパに日本の事を報告したり、姪っ子に彼氏のことを聞いたり、従姉妹の奥さんと子育ての相談をしたり、と楽しいひと時を過ごした。

ディナーが終わると、子供達がツリーの下に置かれたプレゼントを各自宛てに配る。
全部配り終わったら一斉にプレゼントを開ける。
その後もらった人にお礼とハグをしに行く。
30人がプレゼントを開けるので、部屋中がラッピングのゴミだらけになる。
それを掃除して、デザートを食べ、お開きとなった。

帰り道、車の中で息子が「サンタさんは何時に来るの?」と聞いてきた。
旦那が「もうそろそろカリフォルニアに着く頃かも・・」と答えると、夜空を見上げてサンタを探している。
「あ、、光が見えた!」なんて本気で叫んでいる。
ほんまかいな~~?

家に着いて、ツリーの側にサンタさん用のクッキーとミルクを置く。

「早く寝ないとサンタさんが来ないよ。」と言っても、「来るまで待ってる。」と頑張る息子。

あと10分で真夜中だ。
ワインをかなり飲んだので、もう、私、眠たいんですけど~~

でも寝るわけにはいかない。

きっと、息子は明日の朝は誰よりも早起きして、ツリーの側のテーブルを覗きに行くに決まっている。

眠気覚ましにこれを書いて、時間を稼いでいる私。
我慢比べやなあ~



 

メリークリスマス!


2012年12月18日火曜日

帰還

小雨のサンフランシスコ空港に到着。
旦那が迎えに来てくれて、ハイウェイ380~280を抜けて帰路に着く。
ハイウェイ280は普段はガラ空きなのに、しばらく走ると渋滞になった。
事故~~?
15分ほどダラダラ走るとポリスカー3台が事故車両の処理をしているところだった。
事故現場を見ると大型トラック同士がぶつかったようで、そのうちの1台は車の前半分がぐちゃぐちゃに潰れていた。
時差ボケでボーっとしていた私は突然目が覚めたようにそのトラックを見つめる。
「Oh my God ! 人生いつどうなるかわからん・・・」
、、と旦那が呟いている。

ほんまやな~

家に着くとお昼だった。
旦那が今日のスケジュールを伝えてくれる。
2時半に学校のお迎え。4時に息子をジムナスティックに連れて行く。6時半から学校のコーラス部のクリスマスコンサート。
帰ってきたばかりなのに、もう日常に戻らなあかん。。。

機内であまり眠っていない私はこのスケジュールを全部こなす気力はない。
荷物の整理もしたい。
旦那に学校とジムナスティックに行くことを頼んだら快く引き受けてくれた。

本当は仕事が忙しく、それどころではなかったみたいだが、私の心情を察して仕事を後回しにしてくれた。
感謝!

シャワーを浴びたり、お土産を出したり、スーツケースを片付けているともう夕方の5時。
息子がジムナスティックから帰ってきた。
2週間ぶりに見る息子の顔。
「ママ~、逢いたかった~」と飛んできた。

「お土産があるで~」と言って、実家の近所の甘党屋さんで買った大福と三色団子を見せた。
「やった~~」と顔が輝く息子。
「食後のデザート!」と言って、晩御飯を食べた後に団子にかぶりつき大福もぺロリと平らげた。

他のお饅頭も買ってあるけれど、日持ちがするものは隠してある。
そうでないと一度に全部息子が食べてしまいそうだ・・・
実際、前回は6個の大福を一気に平らげた彼。

時計を見ると6時前。
着替えて学校の講堂まで連れて行かないといけない。

このコンサートは毎年この時期に学校の吹奏楽部とコーラス部が共同で行う演奏会らしい。
9月からこの学校に転校し、コーラス部に入った息子は今年が始めての参加だ。

講堂に到着すると会場はほぼ満席状態で、オーケストラの演奏を待っていた。
舞台にはオーケストラ用の椅子が設置されてある。
コーラス部はこの演奏の後なので息子と旦那と3人で演奏を聴くことにした。
5~8年生の有志の生徒が演奏しているのだが、結構上手だった。
クリスマス楽曲の演奏に癒されて、眠ってしまいそうだった。

途中で息子が退席して、コーラス部の出演に備える。

オーケストラの演奏が終わり、舞台がアレンジされてコーラス部隊を迎える。
息子はニヤニヤしながら舞台に上がってきた。
このコーラス部は3~8年生で構成されている。
入部して3ヶ月余りだが、今月初めに市のクリスマスイベントにみんなで参加し、自信を持ち始めた息子。
「ジングルベル」や「We wish you are Merry Christmas」などクリスマスソングを10曲ほど歌う。
子供達の可愛い歌声が優しい気持ちにさせてくれ、心地良い気分になった。

幸せな気持ちになりながら、ふと、先日コネチカットで起こった悲しい事件を思い出した。
20人の子供を含めた26人の命が一瞬の内に銃で消されてしまった、学校で起こった惨事。
同じ年頃の子供を持つ親として、心臓がえぐられるような痛みを感じた。
ご親族の心境を思うと悲痛な思いで涙が溢れそうだ。

コーラス部の歌声を聴きながら、こんなことは二度と起こってはならない事だと、やるせない気持ちになった。
心の中で、そっと、亡くなった命とご遺族にお祈りを捧げる。

コンサートが終わり、笑顔で私の元に走ってきた息子。
「上手やったねえ~」と褒めながら、息子を力いっぱい抱きしめた。
息子は「ママ、帰ってきてくれてありがとう。」と耳元で囁いてくれた。

人生、いつ、どうなるかわからんけど
今、目の前にいる掛けがえのない存在に、あるったけの愛を注ごう・・・

そう思った夜でした。

2012年11月16日金曜日

日本語の使い方

息子はバイリンガル。

家で、旦那とは英語で、私とは日本語で会話をする。
友達、現地校、テレビなど環境的には英語がほとんどで、唯一土曜日の日本語補習校で日本語を使う。

お母さんと日本語で話しているのだから、日本語には不自由しないだろう・・と思われる。
しかし、私以外の日本語にあまり接することがない。
テレビジャパンを取っているのに、見るのは限られた番組だけであまり効果があるとは思えない。
日本人の友達と遊んでいても話す言葉は英語。
学年が上がるごとに、息子の日本語が変になっていくのを目の当たりにしている。

唯一の潤滑剤は毎年夏に帰省すること。
私の家族と話したり、小学校に通って日本人として過ごす時間。
(この期間だけは、標準語の日本語がいきなり大阪弁となる・・)
これでなんとか日本語をキープしているのかもしれない。

そんな息子から発せられる日本語が時々ものすごく面白い。

毎朝、息子を学校まで車で連れて行き、何箇所かあるドロップオフゾーンで降ろします。
ある場所はすごく混んでいて車が渋滞していたり、違う場所は激空きですんなりと停められます。
日によってその混み具合が違うので「今日はどの場所にするん?」と聞いたら
「スッキリしてる場所で降ろして・・」と言われました。

スッキリ・・・空いている場所と言う意味なのだろうが、なんだか妙を得ているなあと感心しました。
それから毎日、一番「スッキリ」してる場所で降ろします。

また、こんなこともありました。
息子が習い事をしている間に、編み物をして待っている私。
かなり編めたわ~と思ったのに、なんだか大きすぎてもう一度ほどいてやり直さなければならなくなった時に息子がやってきました。
「ママ、何してんの?」
「大きいからもう一回編みなおし。全部ほどいてるねん。。。」
「ご苦労さん!」
「・・・・。」

ただひたすら笑ってしまいました。
「ご苦労さん」と言う言葉を教えた記憶はありません。
どこでその言葉を習ったのかを聞いてみたら
「DSのゲーム。」
ゲームもそうやって日本語を教えてくれるのなら悪くもないな・・と思いました。

そして、寝る前にベッドで本読みをしている時のこと。
息子に「歯磨きはもう済んだ?」と聞いたら
「まだ・・・」
「早く歯ブラシを取ってきて磨きや~」と促すと
「あ~~のんびりしたい~~」と訳のわからないことを呟く。

でもそれが可笑しくて「座布団2枚ーー!」と大笑いしました。
「これはどこで仕入れたん?」と聞くと
「ドラえもん~」と答えた息子。
使い方が合っているかどうかは別として、自然に笑いを取ることが身に付いているのかも、、と思ってしまった私。
日本に帰ると吉本新喜劇を毎回食い入るように観ていたのはこういうことを学んでいたのかな?

バイリンガルなので「すごく日本語が出来る」と言う訳ではありませんが、面白い表現をするので感心してしまいます。
本人は至って真剣ですが・・・

この息子の日本語は、日頃忙しくてバタバタしている私の心に新鮮な風を送ってくれます。
暫し1人で微笑んでほっこりする時間です。

2012年11月11日日曜日

Swimming

旦那は、自分の家系は水泳が得意なのだと自慢している。
小学生からスイミングチームに所属し、高校生の時には地区大会に選抜された。
従兄弟のビルは全米大会にまでいったそうだ。

そんな旦那の血を受け継ぐ息子は、幼児の時から水を怖がっていた。
お風呂で髪を洗うときに悲鳴をあげて嫌がる。
目にちょっと水がかかっただけでギャーっと泣き出してしまう。
そんな息子を見た旦那は「これは僕の遺伝子ではない・・」とふてくされていた。

もしかして、、私の遺伝子??

確かに私は泳ぎが得意ではない。
平泳ぎは出来るが、クロールのフォームは滅茶苦茶だ。
潜水で泳ぐとなると、窒息しそうな気がしてあまり深く潜れない。
でもカナヅチではないし、息子のように水を怖がりもしなかった。

どっちの遺伝子かは置いといて、息子をなんとかしなくてはいけない。

日本の小学生は夏になると水泳の時間があり、嫌でもプールに入らされ、バタ足から習います。
体育の時間をクリアしていればそこそこ泳げるようになっていくのが当たり前。
全く泳げない子供は少数ですね。
でも、アメリカの学校では水泳を教えません。
プールと言う設備がないのです。
体育の時間(P.E.)に水泳の実技を頼ることは出来ません。
子供の泳ぎに関しては親に全責任がかかってきます。

「息子が全く泳げないのはマズいやん~!」
そう思って息子が5歳の時にスイミングスクールに通わせ始めました。

初日からしくしく泣いて先生を困らせた息子。
2回目のレッスンはプール中に響き渡るほど泣き叫び、水に入りませんでした。
「スイミングには行きたくない!」と嫌がる息子を、毎週引きずってレッスンに連れて行きました。
そこまでしなくても、、と旦那は反対しましたが、ここでくじけたらずっとこのままだと思った私。

心を鬼にして続けた結果、水を怖がらなくなり、泳ぎを楽しめるようになってきました。
年間を通してずっと通い続けました

そして、3年半。

あんな状態だった息子が今では上のレベルになりました。
クロール、平泳ぎ、背泳ぎはほぼ完璧に泳げるので、今はバタフライとフリップターンの練習をしています。
飛びこんでスタートを切る練習も始めました。
息子が泳ぐ姿を眺めながら、「逞しくなったもんやわ~」と感心してしまいました。

そのうち、クロールを母に教えてくれるのかも・?
「ママ、すんごく下手~」と笑われるかもしれませんが・・

時には鬼になることが必要だと学ばせてもらった一件です。

2012年11月9日金曜日

サンタさんへの手紙

昨年12月のクリスマス前に、サンタさんに手紙を書いたのかと息子に聞いてみました。
「昨夜書いたよ。」と言う返事。

どこに置いたのかを尋ねてみると、、
「サンタさんは本当はママでこっそり手紙を見てプレゼントを買うんでしょ~」と言われました。

そんな訳ないやん~、手紙なんて読まへんし、プレゼントのことも全く知らんで~、と答えると

「クリスマスイヴにサンタさん用のクッキーとミルクを置く場所に手紙を置いたよ。」と教えてくれました。

息子を学校に送り出してから、その場所を探すと、、、手紙がありました。
でも、小さく折りたたんでいて、テープでガチガチに留めてあります。。
私や旦那が見ないように、、、ということかしら??

何重にも巻かれたガチガチのテープをゆっくりと剥がし、手紙を開けてみると。
そこにはこう書いてありました。

「Dear Santa,

Can you give me DS?

ALSO can you give me a おまんじゅう?」

笑ってしまいました。
おまんじゅうだけ日本語やん。
サンタさんにおまんじゅうをリクエストした息子が可愛くて可笑しかったのです。

そして気をつけて念入りにテープを巻き、元の場所に戻しました。

学校から帰ってきて、真っ先に手紙の場所に走って行った息子。
元のままの手紙を見て安心した顔をしています。
(・・・疑われているなあ~ 私)
クリスマス前にミツワまで車を飛ばし、源吉兆庵で和菓子を買いました。 
イヴの夜、置いてあるクッキーをかじり、ミルクを飲み干して、そっと包みを置きました。
翌朝、起きてその場所まで走って行く息子。
大きい包みはDS,小さい包みは・・・
「やった~、おまんじゅうだあ!」と喜んで踊っていました。
そして今年。
ハロウィーンが終わるとサンクスギビングを通り越してもうクリスマス気分になるのか、昨日また変なことを聞いてきました。
「ねえ、サンタさんはママ?」
違うで~、そんなことないやん・・ 去年は夜通しずっと寝てたし・・
「あのねえ、もうサンタさんにリクエストするものを決めてるの。」と不意打ち。
何?
「おまんじゅう!」

またあ~
「今年はねえ、ママの分もリクエストしてあげる。だって去年ママはもらえなくて可哀想だったから。」
ありがとう~ 優しいねえ~
心がほっこりとなりました。
でもおまんじゅうだけ?
メインは?
まだ時間は十分にあるけど、何を頼むのか、ちょっと楽しみでドキドキ。

開けやすいように手紙を書いてね~
(・・とは言えないけど・・)

それにしても息子は甘党・・
誰に似たのやら?

2012年11月5日月曜日

Half

日本では日本人と外国人の両親を持つ子供を「ハーフ」と呼びますね。
1/2と1/2の遺伝子なのでハーフ。

でもアメリカでは「Mixed Kid」 と呼ぶのです。
なんで・・・?

昔、アメリカの開拓時代にNative Americanを除いてたくさんの移民がヨーロッパ諸国から流れて来ました。
それ以降 ヨーロッパだけでなく、アジア、オセアニア、アフリカ、世界各国からも人々が移り住み、彼らは外国人であり、世界各国の血を受け継いでいます。
日本のように一国ではなく、いろんな国の民族が混沌としています。
その人々が血縁を結び、子孫を産み、ハーフでは納まらなくなってMixed になりました。

旦那も例外ではなく、4カ国の血が混ざっているということ。
息子はそうなると4カ国+日本=「5カ国」のミックスになります。
普通に考えれば日本とアメリカのハーフと言うことになりますが・・

息子のルーツをちゃんと覚えておこうと思って、旦那に聞いてみました。

息子は

8/32 チェコスロバキア
3/32 ドイツ
3/32 スウェーデン
2/32 ウェールズ(イギリス)
16/32 日本

と言うこと。

半分は日本人で、あとの半分はいろいろ混ざっています。

なんだかすごいな~~

いつか、息子を連れてこの4カ国を訪れてみたいなあと思っています。