2012年11月30日金曜日

マクロビオティックお料理教室 in San Francisco Bay Area

急な話なんですが、ベイエリアにてマクロビオティックお料理教室が今週末から開催されます。講師はクシ・インスティテュートでヘッドシェフを勤めた経歴もある河合秀紀さん。
かなり生徒さんが集まっているようですが、まだ12月2日と5日の教室に若干空きがあるということです。また12月4日は三育学院にて、河合秀紀さんの講演会も予定されています。
 
河合秀紀さんのプロフィールは最後にご紹介。

ご興味のある方はオーガナイザーのT.W.さんまでメールでお問い合わせ下さい。


-お料理教室の内容-


<お料理教室 メニュー 〜マクロビオティックでホリデーミール〜
 
ホリデースタッフドスクウォッシュ(Holiday Staffed Squash)
 
スウィートポテトの飴煮 (Candied Sweet Potato Medley)
 
パースニップのクリームスープ (Parsnip Cream Soup)
 
アップルピーカンパイ (Apple Pecan Pie)
 
<イベントスケジュール>
 
② 12月 2日(日)お料理教室 @ San Mateo (日本語) 10am 〜 2pm 参加費$50、定員8名
④ 12月 4日(火)講演会 (日本語) 10am 〜 正午 参加費無料(ドネーションを承っております)
「パワーオブフード〜心と体を育む食と生活」@三育学院 in San Jose
 
 12月 5日(水)お料理教室 @ San Jose (英語) 10am 〜 2pm 参加費$50、定員8名
 
お料理教室はデモ形式で行なわれます。参加者全ての方に調理実習をしていただくのではありません。なお、多少のお手伝いをお願いする場合もあります。
*12月8日(土)に、別の方の主催で、サンフランシスコにて、同じく河合秀紀さんのお料理教室が開催されます。こちらに参加をご希望の方は、nx4m-ogw@asahi-net.or.jp (寺子屋「叡伝」さん)まで、直接ご連絡されてください。
参加を希望されるイベントの番号(②④⑤)と参加者のお名前、電話番号を、macronokai@gmail.com T. W.さんまで、お知らせください。参加が決定された方にのみ、開催場所の詳しい住所など詳細の連絡が送信されます。
 
 
 
**** 河合秀紀さんプロフィール ****

マクロビオティック実践歴25年。1985年、渡米。マイアミにて、米国のマクロビオティック運動の創始者である久司道夫氏の親族経営の日本食レストランで2年就業。その後、久司道夫氏が経営する西マサチューセッツ州にあるマクロ
ビオティック/日本食レストラン“銀河”にて、 また、クシインスティテュートのキッチンにて就業、調理法の基礎を学ぶ。ヨーロッパ滞在を経て、米国に帰国後、より深くマクロビオティックを学び実践するため、クシインスティテュートのキッチンにて、ヘッドシェフとして調理を始める。また、約二年間、ボストン在住の久司道夫氏の下、当時、体調を崩されていた久司氏夫人、アベリーヌ先生の食事の用意、日常生活における補助をしながら久司氏に師事、経験を積む。
2001年、クシインスティテュートに戻り、キッチンの再編成、キッチンスタッフの指導、育成、健康相談、メニュー作成に従事する。現在はLAにて、マクロビオティックの普及に努めている。
 
 
 
 

嵐の季節

私が住んでいるサンフランシスコ・ベイエリアは10月下旬から半年間は雨季となる。
ず~っと降りっぱなしではないが、時々の豪雨で地域によっては洪水が起こる。
その前の半年間は乾季でカラカラ状態なのでその格差が激しい。
日本の梅雨のように湿気はないが、年末を前にして雨ばかりでは買い物に行くのも一苦労だ。

「今週水曜日から数日間にかけて3つの大きなストームが来る。」、、と天気予報が言ってた。

水曜日の朝、出かける前にはもう雨が降り出していた。
フォスターシティに行くのにハイウェイ101に乗ったら水しぶきで前が見えない。

ひゃーー、ストームが来るんやわ~・・・とびびりながら運転をする。
しかし、数時間後には晴れて来た。
1つ目のストームは通過したらしい。
なんや、、この程度かいな、、、とホッとした。

「2つ目のストームは木曜日の夜から金曜日全般にかけて雨を降らせる。」と聞いた。

木曜日の夕方。雨が降り出してきた。
早く家に帰ろ~・・と家路を急いでいたら、自宅近くの道路(山道)で渋滞が起こっている。

何?事故?・・

と思って、前方を見ると、1頭の鹿が道を渡っているのが見えた。

この光景はここら辺ではよくあることなので、その割には長い渋滞やなあ・・と思った。
ふと道路わきの林を見ると鹿が12頭いて最後の鹿が渡るのを眺めている。
この鹿の数には驚いた。

普通鹿は単独行動、もしくは母鹿が小鹿を連れて歩くことはあっても13頭の集団では一緒に行動はしない。
珍しいこともあるもんやわ・・と考えながら山道を登っていった。

夜になっても雨はそんなにひどくはならず、2つ目のストームもこの程度か・・と鷹をくくっていた。

夜中の3時。
ゴーっ!!と言う音で目が覚めた。
雨の音と、裏庭のクリーク(小川)の音だ。
クリークは夏は水がなくなり、乾いて川の姿を消すが、雨季になるとチョロチョロと水が流れる。
そのクリークが滝になって轟音を立てていた。

嵐が来たーー!
とてつもない水の量が勢いよく下方に向かって突進している。

その時、鹿の集団のことを思い出した。
野生動物は天性の勘で身の危険を察知する。
鹿達はこの豪雨のことを既に感じて、集団で避難していたのかなあ、、と布団の中で考えていた。
滝の音があまりにも大きくて、それから眠れなかった。

金曜日の朝、息子を学校まで送っていく。
道は川のようになり、水しぶきを上げながら車を走らせる。
水の上を運転するのは怖い。
北のほうでは洪水の為に休校になっている地域もあるらしい。
まだ雨は降り続けている。

土曜日から日曜日にかけて「3つ目」が来るらしい。

そんな土曜日の朝に息子が所属する現地校のコーラスグループが市のホリディイベントに出演してクリスマスソングを唄うことになっている。
野外ステージなのに「雨天決行」らしい。

嵐でもするのかなあ・・・
野外ステージが浸水ってことはないのかな・・・

っと要らぬ心配ばかりをする私。

このお天気、てるてる坊主では効きそうにないなあ~


2012年11月28日水曜日

乳がんの罹患率

最近、あまりニュースを観ていません。
殺人や誘拐など残虐な事柄を耳にすると落ち込むので避けてしまいます。
唯一チェックするのが天気予報。
なので時事のニュースに疎い私。

2週間前にサンフランシスコ市内の友達と乳がんの話しをしていて、「マリンカウンティに限って乳がんの罹患率が極めて高い。」・・と言う事を初めて知りました。
(マリンカウンティはサンフランシスコの北側、海を挟んだ所にある地区)

昨日、その友達からメールで
「今朝のニュースでサンフランシスコ・ベイエリアのあらゆる区域が乳がん罹患率のハイリスク領域になっているらしいよ。」とリンクを送ってくれました。

http://www.sfgate.com/health/article/Bay-Area-breast-cancer-clusters-seen-4068698.php

そのクロニクル紙の地図を見ると、バークレイやイーストベイ、サンマテオカウンティ、サンタクララカウンティがハイリスク領域にマークされています。
アメリカ国内の平均よりも10~20%リスクが高い地区らしく、赤色で塗られているのです。

ありゃ~私が住んでいるところも当たっているやん・・
どうすりゃ、いいの~? アメリカ撤退?

・・なんて一瞬考えましたが、その記事を読むと原因はまだ究明中でわかっていないということでした。

考えられる可能性として、
*白人の住んでいる率が他の地区よりも多い。
*医療機関にかかる機会が他の地区よりも多いのでその分もっと検出されたことが考えられる。
・・と書いてあります。

これは2000年~2008年の調査で、原因は現在究明中だと言うですが、なんだか納得できないので、他の文献も調べてみました。

そこで見つけたのが、「海外癌医療情報リファレンス」と言う日本語サイトが発表している、UCSF校が調査したマリンカウンティでの乳がんについての見解でした。

http://www.cancerit.jp/18996.html

これは2003年に発表された調査でちょっと時差的にブランクがあるが、一番注目したいのは、
"この研究の重要な結論のひとつは、乳癌の発症原因は土地自体にはないということであった。"と言う事実。

この一行を読んで、ホッと胸を撫で下ろします。
こう言う結論が出てるのに、なんでまた新たに人をビビらす分布図を発表するんやろ~・・と1人でボヤいていた私。

とりあえずはクロニクル紙が現在究明している結果を待つとします。

私たちに出来る事は・・
癌にかかる要因を排除してかかりにくい環境と身体を作ること。
そして早期発見のための検診。

日本では女性は30歳を超えると1年に1度の超音波検査、40~56歳までは毎年の超音波検査と2年に1度のマンモグラフィー検査、57歳からは毎年のマンモグラフィー検査を国が推奨しています。
これには政府からの補助も出ます。

アメリカでは政府からの補助はありません。
対象年齢もはっきり決まっておらず、ある団体では50歳以上は2年に1度、とか、違う団体では40歳以上は1-2年に1度など、設定がバラバラ。

アメリカに住む身としては、40歳を越えたら自分で決めた期間で定期的に検査を受けてスクリーニングを行うしか方法がありません。
ハイリスクの場所に住んでいる以上、無視出来ない選択だなあと思いました。


2012年11月25日日曜日

温熱療法

サンクスギビングの翌日・金曜日はリラックスタイムと決めた私。
後片付けも適当にし、本を読んだり、友達にメールを書いたり、ご飯は残り物を食べ、グウタラと過ごします。

私は頭痛持ち。
ストレスが溜まったり、ホルモンのバランスが崩れると、いつも偏頭痛が起こります。
この日も首筋から側頭部にかけて鋭い痛みが走る予兆があったので、セルフヒーリングをしたり、深呼吸をしてゆったりと過ごすとあまりひどくならずに済みました。

土曜日の午後、急遽友達を招いてディナーを一緒に食べることになりました。
心知れた友達で私の疲れを心配してくれているので、「お持て成しはしない。」「食事はパーティの残りや簡単なもの。」と言う約束で来てもらいます。
積もる話をしながらみんなで食事を食べ、赤ワインを飲みました。

翌日、頭が痛い。

飲みすぎ?二日酔い?と思って梅干しを食べたり、お白湯をいっぱい摂ったりしました。
でも考えてみるとそんなに量は飲んでいまえん。
セルフヒーリングをすると一時的に和らぐが、またズキズキと痛み出します。
ホメオパシーのレメディを飲んだけれど、効きません。
頭痛に効くハーブを摂っても効きません。

緊張状態から急激にリラックスすると血管の収縮と拡張のひずみで偏頭痛が起こことがあります。
木曜日の膨大な緊張で血管が収縮した後、金曜日の寛ぎと土曜日のリラックスしたお酒で血管が拡張し、これが私の頭を攻撃しているのかなあ・・と推測。

ふと自分の身体が物凄く冷えていることに気がつきました。
暖房をつけているのに手足がめちゃくちゃ冷えています。
これは身体を温めたほうがいいなあと思い、「温熱療法」を試みました。

温熱療法の理論は
「気の流れ(経絡)には「ツボ」があり、そのツボから気が出入りすると考えられる。
ところが、そのツボを中心に気の流れがとどこおり病気になる。
熱刺激によって気の流れをスムーズにするのが治療目的である。」 
-wilipediaより抜粋-

サウナ、温灸、赤外線照射、酵素風呂など。
家庭で出来る簡単な方法では手浴、足浴、ホットパック、湯たんぽなど。

洗面所に行ってシンクにお湯を張ります
その中に両手を浸けると身体が緩みます。
肩の凝りがやわらいでいくのを感じました。
そのあとは湯たんぽで太腿の内側を温めます。
滞っていた血液が下のほうまで流れていくのがわかりました。
湯たんぽを丹田に移動させ、下腹部を温めると頭痛が薄らいできました。
やっぱり冷えてたんやわ~と思い、夜はゆっくりと湯船に浸かってお風呂に入りました。
知らない間に頭痛はどこかに消えていました。

「冷えは万病の元」と聞くけれど、当たり前のことをつい忘れがちになる日常。
普段から身体を冷やさない食べ物、飲み物を摂って内側から温めるのは大切なこと。
そして外側からも保温し、時には温めることが必要なのだと改めて確認しました。

2012年11月23日金曜日

感謝祭 2012年 その2

今日のサンクスギビングパーティでゲストを玄関で迎えるのは息子の仕事。
ベルが鳴り、あわてて玄関に走っていく彼。

叔母様と叔父様、妹夫婦、従兄弟家族、、、どんどんとやってきました。
1人1人にハグをして、挨拶をかわします。
従姉妹のサンディは2週間前に心臓の手術をしたと聞き体調を心配していましたが、元気そうな顔でやってきたのでとりわけ長いハグをしました。

前菜を食べながらワインを飲んでみんなと話をしたいけれど、ターキーの焼き加減が気になるのでキッチンに居座る私。
ディナー開始までにまだ2時間半あるのに、もう既にターキーに刺した温度計が「食べ頃」を示しています。
叔母様に相談すると、「オーブンから出して天板に水を張り弱火で保温し、ターキーはアルミを何重にもかぶせてその上からタオルでカバーして温度を保ちなさい。」とアドバイスを受けました。
さすがーー!と尊敬の眼差しで見つめ、支持に従う。

その前にグレイビー用の肉汁を天板から2-3杯スプーンですくって後は捨てようとしたら、叔母様に怒られました。
上澄みの油は捨てて、下に溜まっている肉汁は全部入れる、、のだそうです。
まごまごしていると、叔母様が代わりにやってくれました。
「内臓はどうしたの?」と聞かれ、「捨てた~」と答えると、
「グレイビーには内臓と首の肉をボイルして入れないとダメじゃない、、」と怒られました。
ハハハ、、と笑ってごまかしたら、「後でグレイビーの作り方のレシピを送るから。」と言ってくれました。
それから言われたようにターキーを保温します。

キッチンにある2つのオーブンの1つにはターキーを取り出した後にハムを加熱します。
もう1つのオーブンにはスタッフィングとマッシュポテトが入っています。
ゲストが持ってきたスィートポテト(ヤムポテト)ディッシュ、野菜のディッシュもオーブンで加熱。

ディナーの15分前になり、ターキーを切り分ける作業を開始。
映画やドラマではターキーをテーブルのど真ん中に置いて、みんなで切り分けながら食事をする光景を観ますが、旦那の家族はパーティをホスト者がターキーを前もって切り分けると言う仕来たりがあります。
旦那がターキーを切り分けて大皿に並べ、ハムも違う大皿に並べます。

ローストターキー
ハニーグレイズドハム
サラダ
温野菜のディッシュ
マッシュポテト
スィートポテトディッシュ
クランベリーソースとクランベリーゼリー
スタッフィング
ロールパン

数々のディッシュををキッチンのカウンターに並べ、個人個人が自分のお皿に好きなだけ入れていくビュッフェスタイル。
私はまず息子の分を先に確保して、子供達を席に着かせます。

大人も一列に並んで食べ物を入れていき、席に着いた者から食べ始めます。
最後に私と旦那がお皿に配膳し、席に着きました。
旦那がワイングラスをチリンチリン!と鳴らし、みんなの注目を集めます。

パーティのホストである旦那は・・
”この特別な日に家族みんなで集まれたことに感謝し、来られなかった家族のメンバーに祝福を送ります。1人1人が元気で顔を合わせられると言うのは本当にラッキーなことだと思います。”と挨拶をし、乾杯の音頭を取りました。

やっとワインが飲める~~

みんなはローストターキーが最高の出来だと褒めてくれました。
しっとりしていて皮はパリパリ。
「スタッフィングもとてつもなく美味しい!」と言われました。

私は期待してターキーを一口食べた。・・・やっぱり不味い。
どう料理しても私の口には合いません。
ターキーの一切れを、クランベリーソースを沢山かけてようやく食べることが出来ました。



スタッフィングとハムは美味しかったです。
マッシュポテトは、あんなに作ったのに、既にキャセロールの中は空っぽになっていて、足りなかったようでした。
唖然。。。

みんなと話しながら食べていると私が食べ終わるのが一番遅く、辺りの雰囲気はデザートの時間になっていました。
あわてて残りの食べ物を口に突っ込み、旦那にコーヒーを煎れるようにお願いして、私は2種類のパイとアイスクリーム、ホイップクリームを冷蔵庫から取り出します。
1人1人にパイの好み、何をサイドにつけるかを聞き、切り分け、配っていきます。
旦那が煎れたコーヒーを配ります。
一部のメンバーは手伝ってくれますが、久しぶりに会う家族のメンバーとお酒を飲み会話をするというのは貴重な時間なので、ほとんどが椅子に座ったまま。
私は配膳係に徹しました。

9時。お開きの時間。

「ターキーが最高に美味しかったから来年もホストしてくれればいいのに~」と言われ、私は苦笑いでかわしました。

お開きと言っても、従姉妹家族は残って、映画を観たり、政治の話で盛り上がったりして結局夜中の1時に帰って行きました。

なんだか疲れた~~

1年に1度のイベント、感謝祭。
家族が集まり、ご馳走を食べ、遊び、お酒を飲んで語り合う日。
ターキーが嫌いでも、お料理が苦手でも、みんなが幸せな顔で帰っていくのを見て、よかったなあ・・と思いました。


関連記事:感謝祭2012年 その1

2012年11月22日木曜日

感謝祭 2012年 その1

1999年の10月半ばに語学留学でサンフランシスコに来た私は、その1ヵ月後のサンクスギビングの日に「???」と言う思いをしました。
11月の第3木曜日、語学学校はサンクスギビングで休みだと聞き、ああ勤労感謝の日なんやわ・・と思っていたのです。
当日、いつも行ってるWhole Foods に買い物に行くとお店が閉まっていました。
辺りを見回すとレストランもドラッグストアーもClosed で車の数も少ないし、街は静まり返っています。
なんで~?と思いながら部屋に戻り、食べるものがないのでパックのご飯をチン!してお茶漬けを食べました。

翌年、アメリカではThanksgiving Day は勤労感謝の日ではなく感謝祭・・収穫を祝う意味から始まり、現在は親族や友人が集まる大規模な食事会で、大切な家族行事の1つである・・と言うことを知りました。
これは日本のお正月に匹敵します。
あの静けさにも納得・・

今年の感謝祭の当日。
朝起きて、まずパーティで着る服に着替え、ちゃんとお化粧をします。
え、、もう?と思われるかもしれないが、大きなパーティとなるといつも朝からパジャマ姿&素っぴんでキッチンに立ち、バタバタしているうちにパーティ開始直前だと気づき、あわてて着替えてスッピンで出迎えた・・という経歴が何度もあるので、朝のうちにもうやっておきます。

用事を一通り済ませてからキッチンに立ち、まずグレイビーソースを作りました。
グレイビーソースはターキーとマッシュポテトには不可欠なので大量に必要です。
小麦粉を炒めてチキンストックで延ばし、ポタージュ状にします。
後で焼いたターキーの肉汁を加えて濃厚な味に仕上げます。

その後は、スタッフィング。
スタッフィングとはターキーのお腹に入れる詰め物のことです。
これをターキーに詰めてしまうと、肉汁の匂いが滲みついて臭くなるので、私は別の容器に入れてオーブンで焼きます。
ガーリック、玉ねぎ、ベーコン、セロリ、マッシュルーム、りんご、ドライドクランベリー、胡桃を順番に炒めて、塩コショウ、ハーブを加え、クルトンを山もり入れ、スープストックに滲み込ませます。
クルトンがジュクジュクになるなんて私は許せませんが、家族はこれが大好物。
これをキャセロールに移し変えて、後はオーブンで焼くだけ。

ここで1時になったので軽くランチを食べました。

ランチ後はターキーを昨夜のブライン浴から上げて、水洗いし、ペーパーで拭きます。
首側の空洞にオレンジの輪切りを入れようとしたら、小さいプラスティックの袋が出てきました。
あ、、内臓の入った袋、、、取るのを忘れてた~
本来はこの内臓も煮て、グレイビーソースに加えるのですが、面倒臭いので捨てました。

そしてターキーの詰め物用のスタッフィングを作ります。
庭に生えているローズマリーを旦那に取ってきてもらい、玉ねぎ、りんご、シナモンスティックと一緒に煮込みました。
これをターキーのお腹に入れ、表面全体をオリーブオイルでコーティングし、塩コショウしてから475度Fにセットしたオーブンに入れます。
温度計を突き刺したターキーを475度Fで30分間焼き、その後は375度Fまで下げて肉の深部に火が通るまで焼くのです。

オーブンに入れたらホッとしました。
2時半。
ゲストが来る4時まではちょっとゆとりがあるわ~
・・っと思っていたのに、洗いもの、テーブルの最終チェック、ハムにかけるグレイズドソースを作っていたらベルが鳴りました。

4時。
ゲストがどんどん到着してきます。

(その2に続く・・)




関連記事:感謝祭前日 http://emeraldhillsca.blogspot.com/2012/11/blog-post_7797.html

2012年11月21日水曜日

感謝祭前日

今年のサンクスギビングの集まりは、2家族がキャンセルとなり、7家族24人となりました。
2年に1度だけとは言え、30人前後をホストするのはかなりストレスを感じます。

でも、やらなしゃーない・・・

18パウンド(約8キロ)の冷凍ターキーを買い、数日間冷蔵庫で解凍しています。
でもこのメインだけでは足りない。何かを足さねば。。。
でもターキーばっかり2羽を焼くのは非常にイヤなので、ハムの塊を買うことにしました。

明日はいよいよ感謝祭。
朝からCostcoに買い物に行きました。
開店前に到着したのに、駐車場はほぼ満車状態。
ひえ~~~!
日本の年末のような、忙しく、血走ったエネルギーが人々の間で流れています。
みんなメモをチェックしながらカートにどんどん食品を入れていきます。

私は、36個入りロールパン(・・こんなに多いのん、買うのは今日だけ・・)、ゲスト用のジュース、3キロの蜂蜜漬けのハム(・・これはターキーの脇役、でも私はこっちを食べる・・)、Peets のコーヒー豆などを買い込み、レジに行き、早々と店を後にします。
駐車場にはどんどん車が入ってきて、パニック状態。

そのあとWhole Foods にも行ったけれど、駐車場が混雑していてグルグル走ってもパーキングを見つけられないので、入るのをあきらめました。
まあ、ええわ・・・強いて要るものはないし~と家路に着きます。

家では旦那がデッキでバーに並べるお酒類の補充。陳列。
そして長いテーブルを3台くっつけて巨大ダイニングを作っていました。
テーブルクロスを探します。
3枚、、ありました~

椅子24脚を並べ、お皿、グラス、フォークにナイフ、デザート用も入れるとフォークだけで48本必要なものを探します。

そんなにあるん~~?

でも、あった。

テーブルセッティングは旦那に任せて、私はキッチンに立ち「ブライン」を作ります。
ブラインとは塩水にハーブやフルーツを入れたターキーの漬け汁。
お鍋で沸騰させた後、巨大なボールに入れて冷まし、洗ったターキーを入れます。

なんか七面鳥がお風呂に入っているみたい・・



そのまま冷蔵庫に入れて、明日まで漬け込みます。

次にマッシュポテト。
25個分のじゃがいもの皮を剥きました。
3年前に私がマッシュポテト担当で、確かじゃがいも12-13個分を作って持って行ったら全然足らなかったのです。
こういうパーティでは食料が足りないというのは許されないらしいです。
余る分は全然構わないので、いっぱい作れ~、、と旦那に言われました。
大きな鍋に溢れるほどのポテト。
チキンストックを入れて、煮込み、火が通ったらスープを減らし、泡だて器で潰していきます。
そしてこれでもかぁ~~と言う位、いっぱいバターを入れました。

疲れてきました。
明日はターキーを焼き、グレイビーソースを作り、スタッフィングも作らないと・・
この辺で辞めよ~

外はもう暗くなって晩御飯の時間になりました。

何しよ?晩御飯・・
お蕎麦。蕎麦がいいな~

明日は濃厚な料理やから、今日はあっさりな麺類が食べたい!ってなことで夕飯はお蕎麦になりました。


世界各国には、日本人がターキーを焼いて、お料理を作り、大人数を持てなして、どうってことないわ・・って人がいっぱりいるのでしょうが・・
私はお料理が苦手。
持て成すより持て成されるほうが好きです。

でも日本に生まれながら、大家族がいるアメリカ人の旦那を持ち、貴重な体験をさせてもらってます。
明日はなるべくリラックスして、楽しめるように・・頑張ります。

関連記事:サンクスギビング

2012年11月17日土曜日

検査結果

3週間前のこと。
サンフランシスコジャイアンツがプレイオフゲームを勝ち抜いてワールドシリーズで戦っていた木曜日の夕方。
さて5時になるし、ジャイアンツの試合を見ようかな~と、冷蔵庫を開けてビールを選んでいたら、旦那がキッチンに入ってきました。

「ちょっと重大な発表がある。」と言うので何の事やろ・・それより、ビール、それよりワールドシリーズ、、と思っていたら、「検査の結果。」の報告でした。
心臓がズキっと鳴り、ビールをカウンターに置いて聞き入った私。

1年ほど前から、旦那のある前立腺の癌にかかるリスクの数値がかなり高い、、とドクターから言われていました。
数ヶ月ごとに検査を繰り返したのに数値は下がらず、この3ヶ月は1ヶ月ごとに検査をしていた彼。
でも、数値は上がる一方。

「これは癌にかかっている可能性が大。」と言うドクターのアドバイスでパイオプシー(細胞検査)をして、その細胞が癌かどうかを判断する検査を勧められたのです。

アメリカでは1人のドクターが全部の役割をせず、診断を下すドクター、検査専門のドクター、癌治療専門のドクターと全部が細かに分かれています。

3日前に検査専門のドクターにかかり、バイオプシーを受けた旦那。
付いて行こうか??と声をかけてみたけれど、1人で行くと言うので見送りました。
数時間後、「結果は金曜日に電話で知らせてくれる。」と平静を装って帰ってきました。
数値の高さ、家族歴、、、いろんな要素を考慮して、癌にかかっている可能性が高い、とドクターに言われたそう。

もし癌にかかっていたら、放射線治療、臓器の摘出手術などをして、存命率はかなりある、、と旦那は楽観的に考えていた風に見えたけれど、実際はどうなの??と思っていました。

もし旦那が死んだら、その後私と息子はどうなるん~~~
・・と私も真剣に考えました。

相方の死 。

今まで考えたこともなかったけど、人生何が起こるか分かりません。
いつそういう事が起こっても不思議ではないし・・・
しかも、「癌」かもしれないと言われた旦那を目の前にしたら、いくら医療が発達しているとは言え、「死」と言うものを考えてしまいます。
旦那には「もうちょっと優しくしよ・・」なんて考えてしまいました。

家のことは何もかも、全て旦那任せてで、私は知らないことが多すぎます。
公共料金の払い方を知りません。
税金、保険、車・・に関しても何1つ知りません。
真っ青状態の私。
どうしよ~~と数日間かなり不安でした。

「んで、、、検査の結果は??」

私は心を落ち着かせようとビールの栓を抜き、ゴクゴクと飲みました。

「さっきナースと電話で話した。」

金曜日に結果が出る、と言っていたのに、一日早い報告。

癌にかかっている可能性は・・

「ない」と言うことだったそうな。

深刻な結果だったらドクターから直々に報告されるが、そうでなかったので「ナース」だったそうだ。

「Yeah!!」」
「よかった~~~!!」

力が抜けました。
それにしても、とってもとっても、ホッとしました。

心配していないふりをしていたけれど、かなり心配していた私。
あっけらかん、、を装っていたけれど、とっても不安だった旦那。

祝杯を挙げよう!とビールを飲み干した後に、お気に入りの赤ワインを開けます。
ジャイアンツの試合を観ながら、お互いに、よかった、よかった、と言い合いました。

人間、いつ、どうなるかわからないけど、この検査結果にはホッとしました。
ひとまず安心。

それにしても、、、私、この家のことを何も知らんやん~~と言うことを身に滲みて感じています。
もうちょっと勉強しないと・・・

今回のことで大切なことを改めて気付かされました。
感謝。

2012年11月16日金曜日

日本語の使い方

息子はバイリンガル。

家で、旦那とは英語で、私とは日本語で会話をする。
友達、現地校、テレビなど環境的には英語がほとんどで、唯一土曜日の日本語補習校で日本語を使う。

お母さんと日本語で話しているのだから、日本語には不自由しないだろう・・と思われる。
しかし、私以外の日本語にあまり接することがない。
テレビジャパンを取っているのに、見るのは限られた番組だけであまり効果があるとは思えない。
日本人の友達と遊んでいても話す言葉は英語。
学年が上がるごとに、息子の日本語が変になっていくのを目の当たりにしている。

唯一の潤滑剤は毎年夏に帰省すること。
私の家族と話したり、小学校に通って日本人として過ごす時間。
(この期間だけは、標準語の日本語がいきなり大阪弁となる・・)
これでなんとか日本語をキープしているのかもしれない。

そんな息子から発せられる日本語が時々ものすごく面白い。

毎朝、息子を学校まで車で連れて行き、何箇所かあるドロップオフゾーンで降ろします。
ある場所はすごく混んでいて車が渋滞していたり、違う場所は激空きですんなりと停められます。
日によってその混み具合が違うので「今日はどの場所にするん?」と聞いたら
「スッキリしてる場所で降ろして・・」と言われました。

スッキリ・・・空いている場所と言う意味なのだろうが、なんだか妙を得ているなあと感心しました。
それから毎日、一番「スッキリ」してる場所で降ろします。

また、こんなこともありました。
息子が習い事をしている間に、編み物をして待っている私。
かなり編めたわ~と思ったのに、なんだか大きすぎてもう一度ほどいてやり直さなければならなくなった時に息子がやってきました。
「ママ、何してんの?」
「大きいからもう一回編みなおし。全部ほどいてるねん。。。」
「ご苦労さん!」
「・・・・。」

ただひたすら笑ってしまいました。
「ご苦労さん」と言う言葉を教えた記憶はありません。
どこでその言葉を習ったのかを聞いてみたら
「DSのゲーム。」
ゲームもそうやって日本語を教えてくれるのなら悪くもないな・・と思いました。

そして、寝る前にベッドで本読みをしている時のこと。
息子に「歯磨きはもう済んだ?」と聞いたら
「まだ・・・」
「早く歯ブラシを取ってきて磨きや~」と促すと
「あ~~のんびりしたい~~」と訳のわからないことを呟く。

でもそれが可笑しくて「座布団2枚ーー!」と大笑いしました。
「これはどこで仕入れたん?」と聞くと
「ドラえもん~」と答えた息子。
使い方が合っているかどうかは別として、自然に笑いを取ることが身に付いているのかも、、と思ってしまった私。
日本に帰ると吉本新喜劇を毎回食い入るように観ていたのはこういうことを学んでいたのかな?

バイリンガルなので「すごく日本語が出来る」と言う訳ではありませんが、面白い表現をするので感心してしまいます。
本人は至って真剣ですが・・・

この息子の日本語は、日頃忙しくてバタバタしている私の心に新鮮な風を送ってくれます。
暫し1人で微笑んでほっこりする時間です。

2012年11月15日木曜日

方向転換

今年の5月に仕事を辞めました。
勤務3年目を迎えようとしていたゴルフウェアの会社 Loud Mouth Golf。

会社のウェアが有名になり、忙しい日々が続きました。
その合間を縫って、お稽古事、息子の学校のボランティア、息子の習い事とバタバタと時間が過ぎていきます。
時間に追われる日々。
半年以上、今後の人生を考えていた私。

ある時、自分の内側から声がして、急に「仕事を辞めよう。」と言う結論に至ったのです。

何故?と友達は聞きます。
勤務時間は融通が効き、夏休みを交代で取って日本にも帰れるし、職場はみんないい人ばかりで、話をするだけでストレス発散になる場所。
家族でも学校でもない「職場」と言うコミュニティの中にいて、自分の場所がいつもそこにありました。

でも、ずっと、「何かが違う。」と言う気がしていたのです。
自分の中心がズレている感じに捉われていました。
残された時間にやりたいことはこれじゃないと、漠然と思っていました。 
ちゃんと説明が出来ないけれど、方向転換をする時期なのだともう1人の自分が叫んでいました。

なので、後ろ髪を引かれながら職場を後にしたこの春。

辞めたあとは・・・

旦那と二人三脚で、家のリモデルに取り組んでいます。
建築家の彼は、もう何年も前から何通りも図面を書き「改築・Ready Go!」の状態でした。
それで私がアシスタントになって家のリモデルと言うプロジェクトに取り掛かり、デザインの最終決定を2人で考えたり、床や壁を選んだりと言う簡単なものを手伝っています。

自分の時間があるので、セミナー、ワークショップなどに参加出来るのも嬉しい。
そして書くことにも時間を費やせるようになりました。
このブログを書き始めてから、ネットワークが広がり、同じ視野で物事を見つめている人たちと繋がっています。
既にお会いしていた人達でも、今までは心の中身まで明かさなかったので、表面だけの付き合いで終わっていました。
中身を明かすと、こういう私だと知った上で、もっと興味を示してくれたり、更なる情報を送ってくださいます。
そういう方々と話をしたり、メールを交換しているだけで、新たな気づきや学びを分かち合えるようになってきました。
家族でも学校でもない自分の場所は、これからは自分で作っていくのだと感じています。 

2012年11月14日水曜日

病気の原因

私は健康オタクだとよく言われます。
いろんな種類の本を読み漁り、知識だけは豊富にあるのかもしれません。

この夏読んだ本に書いてあったのは・・「病気について」。
病気の原因の90%は心のストレスだと記されていました。

心の問題が健康を害する要因となるということ。
人間の細胞は、癒しの状態にある時には病気を寄せ付けません。
でも、苛立ちや迷いの状態にある細胞は「血液の流れが変わり、老廃物が蓄積され、毒素が生み出され」、病気の原因となると言うことです。

例えば・・

自分勝手な「利己主義」な人は、内分泌(ホルモン)の問題をかかえます。

「悲しみ」を持ち続けていると、うつ病になる可能性が・・

「不安」や「恐れ」があり心が安らいでいないと、胃腸に問題を起こすということ。

「怒り、欲求不満。苛立ち」があると、免疫システムが停止し、病気にかかりやすくなります。

罪悪感や恥辱が原因で形成された「完璧主義」は呼吸器系に問題が起こり、深呼吸が出来なくなったりします。

「信頼」に関わる摩擦は、生殖システムの問題や不妊を招くそうです。

いい人でありたいと自分を「イメージコントロール」する人は、循環システムや心臓に問題が起こります。
                                    -The Healing Code より抜粋-

・・など、感情と病気には密接な関係があると言うことでした。
     
1年半前にサウスダコタのメディスンマンと話をしました。
彼はスピリット(精霊)の声を聞くことが出来、病気の人が来るとセレモニーを開いてその治療法を患者に伝える仕事をしています。
「末期の癌であっても、数ヶ月は寿命が延びる。」、、、と聞いて驚きました。

「ほんとに~?」と思ったけれど、癌で亡くなった母のことが頭をよぎり、彼に母のことを話しました。
母は2年前の11月に「余命1年の末期癌」と診断され、それから1ヶ月ほどで他界したのです。

彼は「癌は感情的なアンバランスによって起こる」と私に告げました
ネガティブな感情=不満、不安、怒り、怖れ、、、そういうものを自分の中に抱えていると癌細胞が増殖すると・・・
「食事や免疫システムは関係ないの??」と聞くと、それは脇役的な要素で、癌に罹患するのに最も関係があるのは感情だときっぱりと言い切りました。
日頃から、Happy な自分でいることが大切なことだと付け加えて・・

母の生前にこのメディスンマンに会わせることが出来たら、もう少し長生き出来たのだろうか・・?
そんなことを考えながらコーヒーを一緒に飲みました。

The Healing Code の本を読んだときに、あのメディスンマンの言葉が蘇ってきました。
同じことを指摘している、、と思ったのです。

"毎日Happy でいること”

これに勝る薬はないのかもしれません。


2012年11月13日火曜日

サンクスギビング

11月が過ぎるとあちらこちらで「サンクスギビングはどうするの?」と言う話が持ち上がります。

アメリカでは11月の第3木曜日がサンクスギビングの祝日で、ご馳走を食べ、収穫や食べ物に感謝する日。
日本のお正月やお盆のように帰省ラッシュがあり、人々が州を渡って家族の下に帰ってお祝いをします。
空港が一年で一番混雑する時期。
息子の学校は、その週はサンクスギビングウィークとなりずっと休みになります。

旦那の家族や親戚は幸いにも(?)ここベイエリアに集中しているので飛行機で移動する必要はありません。
毎年、車で誰かの家に集まり、みんなでターキーを食べ、お酒を飲んで盛り上がります。
でも、人数が半端ではなく、30人前後集まります。

そして2年に1度、このパーティをホストする番が回って来るのです。

今年は、ウチが当たり年。

11月に入った途端に憂鬱になってきました。

ターキー(七面鳥)って、、、美味しくないのです。
家中にターキーの匂いが立ち篭もるのも嫌。(臭い。。。) 
そして料理するのに、私は食べません。
親戚一同は美味しいと絶賛していますが、私にとっては・・・・・う~~ん・・・・・。

日本のお正月みたいなもので、お雑煮とお節料理を食べるのが習慣なように。こっちの人がお節料理を食べても美味しいと言いませんよね。

とにかく、、憂鬱さが日増しに濃くなってきます。


2012年11月12日月曜日

背中を押してくれた人

Kojima Ayako さん

マウントシャスタでレストランVivify を経営されていました。
1年半前に天国に旅立ってしまったけれど、今尚、私の心に鮮烈な光を残している方です。

4度の癌に侵され、Ayakoさん自身が食事の大切さを体験し、4度目は医者も薬も絶って、食事で癌と戦っておられました。
 サンフランシスコで流行っていたレストランを閉め、綺麗な水と空気を求めてマウントシャスタに引っ越されたのです。

そんなAyakoさんの経緯を知ったのは6年前に読んだ彼女のブログからでした。
まだ会ったこともない人でしたが、ブログの内容=マクロビや食事の大切さ・・に惹き付けられ、よくページを訪れていました。
5年前に家族でマウントシャスタに行った時にVivify で食事をして、お料理の美味しさに感動しました。
3歳の息子に「お土産~」と言って手作りのお菓子を持たせてくれた優しい人柄にも惹かれました。
4年前、Ayakoさんがサンフランシスコベイエリアでマクロビ・食養のよさを伝える為にバイオフードのお料理教室を開くことを知り、参加しようと決めました。

白いシェフのユニフォームが眩しいほど似合っていて、立っているだけで存在感のある人でした。
マクロビ初心者の私達に手取り足取りわかりやすく、簡単なレシピで数品目を教えてくれました。
そのテキパキとした動き。
作るのが速い。
でも美味しい。
すっかりAyako流バイオフードに嵌り、何度も教室に通いました。

そのうちに意気投合し、我が家で教室を開いてくれることになり、 山の中までトラックで来てくれました。
道に迷って「シャスタよりも田舎やん~」と笑いながら玄関を入り、シャスタの水と沢山の材料を携えて12人の生徒の前で何品も作ってくださいました。
その時にキッチンの本棚にあった「自然療法」と言う本に興味を持たれ、「これ貸して~」と言って全頁をコピーして自然療法を実践されていました。

またオーガニックの梅干しを作っている梅おばあちゃんを助けようと、梅干し販売をされていました。
その販売を手伝って欲しいと頼まれ、ベイエリアの友達に情報を流し、私が中継点になったこともあります。
私の周りには共にお料理を学んだり、梅おばあちゃんの梅干しを買ってくれた友達も多くいます。

今考えると、最後になってしまったお料理教室で、きついハグをしました。
「また会えた・・」と言う嬉しさと、何故か「これが最後かも知れない・・」と言う悲しみが心の中で行き交い、お互いに涙で目が潤みました。
その時のAyako さんの顔が忘れられません。

その半年後(2年前の冬)、私の母が膵臓癌に侵された知らせを受け、ショックで何気なくAyakoさんにメールを書きました。
すぐに長い返事を送ってくださり「癌と戦う厳しさ」や「心の葛藤」などを教えてくれました。
同じ頃にAyakoさんのお母様も私の母と同じ病気を患っておられて、数か月間福岡に看病に帰ってられました。
お互いに日本に居て、「日本は寒いねえ~」なんて何度かメールを交換した時に、Ayako さんが「次の夢に向かって準備を進めている。」とおっしゃっていたので、何だろう?と気になっていました。

その半年後・2011年7月に「帰らぬ人となった・・」と娘さんが書いたご逝去をブログで知り、1人で大泣きしました。

Ayakoさんがいつも言ってた言葉。
*身体は食事から作られる
*食養から病気にならない身体を作る


2週間前、マウントシャスタから郵便物が届きました。
大きな封筒を開けると、中からお料理の本が出てきたのです。
著者 Ayako Kojima の名前を見たときに、涙が溢れ、わあわあ声をあげて泣きました。
Ayako さんのスピリットはまだ存在しているのだと感じ、ストン・・と心に落ちたことがありました。
「次の夢・・」と言うのは本を出版することだったのだ、と。

その本はAyako さんの娘さんが送ってくれたものでした。

「母の夢であった料理本がついに出版されました。
食の大切さを1人でも多くの人に届けたい。
病気にならない体作り
すでに病気と闘っている人は
少しでも元気になれるように
母のいろいろな思いが詰まった本です。
楽しんで頂けると幸いです。
私達家族を支えてくださってありがとうございました。
心より感謝を込めて」

本を開けると教室で習ったレシピや新しいレシピなど60品が綺麗な写真付きで掲載されています。
最後のページには、懐かしいAyakoさんの笑顔がVivifyをバックに写っていました。
その笑顔を見て、また号泣・・・

私は彼女のブログの1読者だったのに、ブログを通してご縁をいただき、知り合い、いろんなことを学びました。
彼女の強い生き方に感銘を受け、食事の大切さを認識し、これからの人生について考えさせらました。

Ayako さんの本を手に取って、「今、私が出来ること」を1つずつやってみようと思いました。

一部で公開していた日記をブログにしてもっといろんな人に読んでもらおう、と思えたのは、Ayako さんが背中を押してくれたからだと思います。
それまでにも友達から「一部だけなんてもったいない・・一般に公開したら?」・・と言われていたけれど、勇気がなく、躊躇してなかなか扉を開けられなかったこと。

ありがとう、Ayako さん。
あなたのおかげで一歩踏み出せました。






2012年11月11日日曜日

Swimming

旦那は、自分の家系は水泳が得意なのだと自慢している。
小学生からスイミングチームに所属し、高校生の時には地区大会に選抜された。
従兄弟のビルは全米大会にまでいったそうだ。

そんな旦那の血を受け継ぐ息子は、幼児の時から水を怖がっていた。
お風呂で髪を洗うときに悲鳴をあげて嫌がる。
目にちょっと水がかかっただけでギャーっと泣き出してしまう。
そんな息子を見た旦那は「これは僕の遺伝子ではない・・」とふてくされていた。

もしかして、、私の遺伝子??

確かに私は泳ぎが得意ではない。
平泳ぎは出来るが、クロールのフォームは滅茶苦茶だ。
潜水で泳ぐとなると、窒息しそうな気がしてあまり深く潜れない。
でもカナヅチではないし、息子のように水を怖がりもしなかった。

どっちの遺伝子かは置いといて、息子をなんとかしなくてはいけない。

日本の小学生は夏になると水泳の時間があり、嫌でもプールに入らされ、バタ足から習います。
体育の時間をクリアしていればそこそこ泳げるようになっていくのが当たり前。
全く泳げない子供は少数ですね。
でも、アメリカの学校では水泳を教えません。
プールと言う設備がないのです。
体育の時間(P.E.)に水泳の実技を頼ることは出来ません。
子供の泳ぎに関しては親に全責任がかかってきます。

「息子が全く泳げないのはマズいやん~!」
そう思って息子が5歳の時にスイミングスクールに通わせ始めました。

初日からしくしく泣いて先生を困らせた息子。
2回目のレッスンはプール中に響き渡るほど泣き叫び、水に入りませんでした。
「スイミングには行きたくない!」と嫌がる息子を、毎週引きずってレッスンに連れて行きました。
そこまでしなくても、、と旦那は反対しましたが、ここでくじけたらずっとこのままだと思った私。

心を鬼にして続けた結果、水を怖がらなくなり、泳ぎを楽しめるようになってきました。
年間を通してずっと通い続けました

そして、3年半。

あんな状態だった息子が今では上のレベルになりました。
クロール、平泳ぎ、背泳ぎはほぼ完璧に泳げるので、今はバタフライとフリップターンの練習をしています。
飛びこんでスタートを切る練習も始めました。
息子が泳ぐ姿を眺めながら、「逞しくなったもんやわ~」と感心してしまいました。

そのうち、クロールを母に教えてくれるのかも・?
「ママ、すんごく下手~」と笑われるかもしれませんが・・

時には鬼になることが必要だと学ばせてもらった一件です。

2012年11月10日土曜日

レイキヒーリング

日本で癒しを求めていた頃に興味を持ったレイキヒーリング。
その時ににサードディグリーまでのセミナーを受けました
でも、あまり他人には使わず、この十数年間は自分と家族と近い友人だけにヒーリングをしていました。

「レイキヒーリングって何?・・」とよく聞かれます。
19世紀に、日本の臼井氏が開発したヒーリング方法で、世界各国に広まり、現在は日本に逆輸入された形になっています。

海外では盛んに取り入れられているヒーリング方法ですが、日本での認知度は低いのが残念。
漢字では「霊気」と書きます。
手当て療法とも言われています。
これを聞いて日本人は、何か怪しいもの、怖いもの、宗教的なもの、を想像することが多いと思います。
日本で広まらないのはこんな偏見があるからかもしれません。

でも、欧米諸国ではポピュラーなヒーリング方法として受け入れられています。
Reiki という言葉はコリンズ英語辞典にその意味が掲載されています。
イギリスでは医師の同意があれば健康保険に適応可能なヒーリングメソッドです。
アメリカのアンダーソン癌センターでは代替医療としてこのレイキヒーリングが実施されています。
近所のスタンフォード大学でもその効果が認められ、スタンフォードホスピタルでは癌患者を癒す目的でこのヒーリングが使われています。
このレイキヒーリングはエネルギーのバランスを整える施術方法です。
ストレスを軽減したり、身体がリラックス出来る状態にします。
身体的&精神的な痛み、歪み、滞りがある部分に手を当て、気を流すのは針治療と似た感じですが、使うのは針ではなく「手」。
施行後は気が身体の中を巡り、温泉に浸かった後の気だるい状態になります。

息子は最近アレルギーで鼻が詰まっている時に、私が手を当てると「急に鼻が通った!」とびっくりしていました。
ペットや植物にもヒーリングエネルギーを送ることが出来ます。
食物や飲み物、お風呂にも活用出来ます。
ワインの渋み、コーヒーの苦味を瞬時に取れるので、いつもグラスに手をかざして味を変えている私。
何も知らない友達は「何してるの~?」と不思議そうに眺めていますが・・ 

日本で習ったレイキヒーリングのセミナーを半年前に再度こっちでも受けました。
習ったことの復習がほとんどですが、人との繋がりが拡がり、スピリチュアルなことをバラエティに教わり、ヒーリングエネルギーもアップグレードされて、実りが多い時間でした。

この夏は大阪に帰省した時にマスターディグリーのセミナーを受け、教える資格も取りました。
将来的にはこのヒーリング方法をこのベイエリアで人々に伝えたいと考えています。


2012年11月9日金曜日

サンタさんへの手紙

昨年12月のクリスマス前に、サンタさんに手紙を書いたのかと息子に聞いてみました。
「昨夜書いたよ。」と言う返事。

どこに置いたのかを尋ねてみると、、
「サンタさんは本当はママでこっそり手紙を見てプレゼントを買うんでしょ~」と言われました。

そんな訳ないやん~、手紙なんて読まへんし、プレゼントのことも全く知らんで~、と答えると

「クリスマスイヴにサンタさん用のクッキーとミルクを置く場所に手紙を置いたよ。」と教えてくれました。

息子を学校に送り出してから、その場所を探すと、、、手紙がありました。
でも、小さく折りたたんでいて、テープでガチガチに留めてあります。。
私や旦那が見ないように、、、ということかしら??

何重にも巻かれたガチガチのテープをゆっくりと剥がし、手紙を開けてみると。
そこにはこう書いてありました。

「Dear Santa,

Can you give me DS?

ALSO can you give me a おまんじゅう?」

笑ってしまいました。
おまんじゅうだけ日本語やん。
サンタさんにおまんじゅうをリクエストした息子が可愛くて可笑しかったのです。

そして気をつけて念入りにテープを巻き、元の場所に戻しました。

学校から帰ってきて、真っ先に手紙の場所に走って行った息子。
元のままの手紙を見て安心した顔をしています。
(・・・疑われているなあ~ 私)
クリスマス前にミツワまで車を飛ばし、源吉兆庵で和菓子を買いました。 
イヴの夜、置いてあるクッキーをかじり、ミルクを飲み干して、そっと包みを置きました。
翌朝、起きてその場所まで走って行く息子。
大きい包みはDS,小さい包みは・・・
「やった~、おまんじゅうだあ!」と喜んで踊っていました。
そして今年。
ハロウィーンが終わるとサンクスギビングを通り越してもうクリスマス気分になるのか、昨日また変なことを聞いてきました。
「ねえ、サンタさんはママ?」
違うで~、そんなことないやん・・ 去年は夜通しずっと寝てたし・・
「あのねえ、もうサンタさんにリクエストするものを決めてるの。」と不意打ち。
何?
「おまんじゅう!」

またあ~
「今年はねえ、ママの分もリクエストしてあげる。だって去年ママはもらえなくて可哀想だったから。」
ありがとう~ 優しいねえ~
心がほっこりとなりました。
でもおまんじゅうだけ?
メインは?
まだ時間は十分にあるけど、何を頼むのか、ちょっと楽しみでドキドキ。

開けやすいように手紙を書いてね~
(・・とは言えないけど・・)

それにしても息子は甘党・・
誰に似たのやら?

2012年11月8日木曜日

Vibration of Your Heart

人は何をするために地球に生まれて来たのだろう?

お金を稼ぐ
地位や名誉を築く
後世に名前を残す
子供を育てる
仕事をやり遂げる

1人1人答えは違ってくると思う

私は「愛を感じ、楽しむため」だと思っている
誰かを愛し、誰かから愛され
そして楽しみ、感動することを経験するために
この星に生まれてきたのだと思う

お金や地位や名誉はここを去る時には持ってはいけない
この地球に別れを告げる時に
「あ~楽しかった!」という感動を持って行きたい
愛を感じたハートの振動を持って行きたい

そう思ってずっと生きてきたけれど
2年前の母の死でその思いが強くなった

今という時間は宇宙からのプレゼント
そのために心が感動する何かを日々探している気がする

綺麗なものを見て心が震える瞬間
心休まる音を聴いて涙が溢れる瞬間
美しい景色を見て言葉を忘れる瞬間
美味しい物を食べて感動に浸る瞬間

いろんな事が私の心にチクッと振動を与えてくれる
その感動は私の財産になる

親しい友達、恋人、家族と過ごす時間の中に
同じような心の振動がある
時にはそれが当たり前過ぎて、忘れてしまうことも多いけれど

当たり前ではないことを思い出さないといけない
この時間は二度とやってはこないのだから・・・

そして
今日、今、この瞬間に生かされていることに
全てのものに感謝

有難うございます



2012年11月7日水曜日

Hug と Kiss

日本ではあまり習慣化されていないけれど、アメリカでは知り合いに会えばハグで挨拶をします。

Hug を和訳すると「抱擁」・・になってしまうけれど、そんなに親密でもなく、軽い感覚で握手をするよりも堅くなく、もっとカジュアルな感じ。
「Hi ~!」と言って、腕を回してハグします。

友達に会っても、親戚に会っても、ハグで始まりハグで終わる習慣。
最初はとまどいましたが、郷に入れば郷に従え・・で12年も居ると慣れてきました。

慣れすぎて、、、日本で女友達に会った時に、難波駅の人ごみの多い所で何も考えずにハグをしたら、多くの冷たい視線を感じてしまったことがあります。
感覚がアメリカンになっているのかな・・?

でも、、慣れないこともあります。
旦那の家族は、親子でも兄弟でも、会う時と別れる時にキスをするのです。
普通親しい間柄だと両頬に軽くキスをして挨拶をしますが、頬にチュッ・・ではなく、口と口。
いわゆるフレンチキスで、唇と唇が触れるのです。

初めて旦那と義理ママがキスをしているのを見た時はびっくりしました。
ええ~~! 親子でキス~~? 信じられへん~~!
これぞカルチャーショック。

回を重ねると慣れたけれど、でもやっぱり違和感を覚える私。

先日義理の妹家族に会った時も、旦那と義妹がキスをしている。
う~~~ん。。見慣れたけど、でも、、、「・・・・・。」

別れるときに義妹とハグをした時に、唇が顔に近づいて来るのを感じて咄嗟に頬を向けて壁を作りました。

(私、一応家族ですけど、血の繋がりはありませんよ~)

旦那の家族という郷に入っても、これだけは従えません。

2012年11月6日火曜日

自然派志向

最近よく「年齢不詳」と言われます。
私のことを年下と思ってタメで話してたら年上だとわかり、突然敬語で話されたりする時は結構傷つきます。

「若さの秘訣は何~?」と質問されます。

日本で歯科大学病院に勤めていたころは今よりも老けていました。
13年前のパスポートの写真はまるっきり「おばちゃん」。
仕事に疲れ、恋愛に振り回され、自分の中心がなかった私。
食事には全然気を遣わずお腹に入れば何でもいい、と言う感じで、 毎晩飲み歩き、酒に飲まれ、記憶を失くす日々、・・そして自己嫌悪。
偏頭痛がひどく、よく鎮痛剤を飲んでいました。

身体も心もどんどんボロボロになって行く中で、自分癒しに時間を使うようになりました。
 ヒーリング、マッサージ、ヒプノセラピー、アロマセラピーなどいろんなセミナーに参加しました。
ヒーラー、チャネラー、シャーマン達に会い、リトリートツアーにも何度か参加しました。
ヒーラーやチャネラー、シャーマン達から口々に言われたことは、、、

なるべくオーガニックでナチュラルな食事を摂ること。
自分を大事にすること。
自分の中心を失くさないこと。
その瞬間瞬間を生きること。

ご飯を食べながら何か他の事を考えるのは、その瞬間に生きてなくて、違う次元に自分を置いていることだと言われました。
マウイのカフナからは「ご飯を食べる時はその食べ物の事だけを考え、その作物、太陽、水、お百姓さんに感謝して食べなさい。それがその瞬間を生きるということだ。」と教えられました。

忠実には守っていないけれど、それからは自分を大事にするようになりました。
食べ物はなるべくナチュラルなもの、フレッシュなものを摂るようになりました。
また身体に取り入れるもの(=化粧品やヘアーケアー剤など)も石油系やパラベンを避けて自然のものを使うようになりました。
お酒は相変わらず飲むけれど、酒に飲まれることはなくなりました。
鎮痛剤を取るのを辞め、自然のハーブとホメオパシーで頭痛をしのぐようになりました。
体と心の痛みは習得したヒーリング法で癒したり、周期的なカイロプラクティックの治療を受けて、背骨の歪みを調整してもらっています。
ご飯を食べながら新聞を読んだり、テレビを観たりするのを辞め、 食べる時に「味わう」ことを意識するようになりました。

塵も積もれば山となる・・で、この12年間で自分の生活を見直したら、なんだか前よりも身体の細胞が若返ってきたようで、 肌も綺麗になったような気がします。

日本帰省時にヘアーカットをしてくれた美容師さんが、シャンプーの怖さを話してくれました。
石油系やシリコン系のシャンプーを使っていると有害物質が頭皮から体内に吸収されて小腸に溜まり、それが癌細胞に変わると言うことでした。
シリコンで髪の表面はツルツルになるけれど、髪の中はスカスカだと言う説明。
シャンプーはナチュラルなものを使うように、、とアドバイスを受けました。
「もう使っています。」と答えるとニッコリと笑顔で返されました。

そういえば実家で某化粧品会社のシャンプーを使ったら、次の日に頭が痒くてたまらなくなり、3回使うと「もう使いたくない~」と思うくらいの不快感がありました。
そのシャンプーって有名なブランドで安くはなく、良いモノだと思っていたのに、いつもオーガニックシャンプーで髪を洗っている私にとっては「異物」でしかなかったのです。
昔は、香りが素敵で洗うとツルツルになるから「いいもの」だと思っていたけれど・・。
今の私の頭皮は受け付けませんでした。

私の身体がナチュラルになっているということかしらん・・?



2012年11月5日月曜日

Half

日本では日本人と外国人の両親を持つ子供を「ハーフ」と呼びますね。
1/2と1/2の遺伝子なのでハーフ。

でもアメリカでは「Mixed Kid」 と呼ぶのです。
なんで・・・?

昔、アメリカの開拓時代にNative Americanを除いてたくさんの移民がヨーロッパ諸国から流れて来ました。
それ以降 ヨーロッパだけでなく、アジア、オセアニア、アフリカ、世界各国からも人々が移り住み、彼らは外国人であり、世界各国の血を受け継いでいます。
日本のように一国ではなく、いろんな国の民族が混沌としています。
その人々が血縁を結び、子孫を産み、ハーフでは納まらなくなってMixed になりました。

旦那も例外ではなく、4カ国の血が混ざっているということ。
息子はそうなると4カ国+日本=「5カ国」のミックスになります。
普通に考えれば日本とアメリカのハーフと言うことになりますが・・

息子のルーツをちゃんと覚えておこうと思って、旦那に聞いてみました。

息子は

8/32 チェコスロバキア
3/32 ドイツ
3/32 スウェーデン
2/32 ウェールズ(イギリス)
16/32 日本

と言うこと。

半分は日本人で、あとの半分はいろいろ混ざっています。

なんだかすごいな~~

いつか、息子を連れてこの4カ国を訪れてみたいなあと思っています。



2012年11月4日日曜日

One Decade

10年前、カレッジに通っている途中で旦那と婚約し、卒業後に結婚しました。

「ワイナリーで結婚式を挙げたい・・」と漠然と思ってしまった私。
Napaまで行くには1時間半はかかります。
もっと近い所で・・とSkyline沿いのワイナリーを探しに行きました。
数箇所見学して、どれも気に入らず、最後に見つけたのがWoodside地区にある"Thormas Fogaty Winery"。
自宅から車で30分の場所にあるこじんまりしたワイナリーです。
2人ともゲートをくぐりぬけた瞬間から建物や雰囲気に一目惚れし、そこに決めました。

でも、日本のようにおまかせ結婚式ではなく、ワイナリーは場所を提供するだけです。
ウェディングプランナーを雇えばよかったんやけど、全部自分達で決めたい言う思いから、フローリスト、ケータリング、カメラマン、衣装、ミュージシャン、進行役・・などを探しました

インターネットで候補を絞り、面接をして、最終候補のスペシャリストを決めます。
それぞれのスペシャリストと何度も打ち合わせをしました。
花の種類、置く場所、飾り方などをフローリストと、ケータリング会社とはメニューを決め試食、ミュージシャンの1人にハープ演奏者を選び自宅まで訪ねて曲を選びます。
進行役とバックグラウンドにかける曲の選定と進行の打ち合わせ。
衣装はカレッジの友達に付いて来てもらってアドバイスをもらいました。
みんなの前で披露するダンスは、曲を選び、インストラクターについて2人で練習をしたのです。

私はまだカレッジのコースが終わっていなかったので、毎日山のような宿題とテストがあり、泣きそうになったことが何回もありました。

しかも、アメリカ式の仕来たりを全く知らなかった私。
ゲストからのプレゼントはまず自分達で選んでデパートにレジストすることに驚きました。
花嫁側が親戚一同を招待して結婚式の前の日にディナー会を開くことも知らず、あわててしまったことも・・。

数日前に日本から両親と妹と姪っ子が駆けつけてくれて、結婚式の前の日にリハーサルをしました。
4歳の姪っ子は私のドレスの裾を持ってくれました。
妹はMaid Of Hornor と言う、私の隣で花束を預かったりドレスを直す重要な役割をしてくれました。

バタバタとして迎えた当日。

父と腕を組んで会場に入った時は緊張しました。
結婚の宣誓では、「I do」と言うところで、「I will」と言ってしまい、みんなから大爆笑を受ける始末。
I will なら「今は誓わないけど、将来は誓う・・」みたいなニュアンスらしいです。
食事の席についてからは、みんなと同じくらい食べ、みんな以上にワインを飲み、普通の花嫁らしからぬ態度を取っていました。

最後の1時間はダンス会場と化した会場。
まず最初に花嫁と花婿のダンスの披露をします。
その次に花嫁は父親と、花婿は母親と踊るのがアメリカ式の仕来たりです。
そして、その後はディスコかクラブか、、と言う状態になり、 ウェディングドレスでクラシックやロックやサルサの音楽に合わせてみんなで踊りまくりました。
日本の結婚式では信じられない光景ですね・・。


9月のある日曜日の朝、「Happy 10th Aniversary!」と言って 結婚生活丸10年目の記念に、旦那がハート型のパンケーキを焼いてくれました。
その日は私達の結婚記念日。

あれから10年。

光陰矢のごとし・・早いなあ~。


2012年11月3日土曜日

Open the Door

ほんの3ヶ月のつもりでアメリカ留学を実行した私。
大阪からサンフランシスコに渡り、人生初めての独り暮らしを体験しました。
すぐに日本に帰る予定が、あらあらと言う間に12年が過ぎています。

このまま独身生活まっしぐら・・と覚悟していた矢先に、異国で巡り会ったのは緑の目のアメリカ人。
水が流れるように、ただただ身を任せて、結婚、出産・・を経験し、今は子育て真っ最中。
書くことは好きなので一部の方に日記を公開していましたが、一部だけでは勿体無い!と言う声をあちこちから戴きました。
大阪弁丸出しで、しょうもないことばっかり書いている私の文章を不特定多数の方々に公開するなんて恐れ多いわ~~とためらいつつも、一大決心をしてドアを開けることにしました。

アメリカでの子育て、ヒーリング、ホリスティック、オーガニックフード、旅行のことなどをお伝え出来ればいいなあと思っています。

ナチュラルライフを目差す子育て主婦の独り言・・・サンフランシスコ近郊のエメラルドヒルズからお届けします。