Kojima Ayako さん
マウントシャスタでレストランVivify を経営されていました。
1年半前に天国に旅立ってしまったけれど、今尚、私の心に鮮烈な光を残している方です。
4度の癌に侵され、Ayakoさん自身が食事の大切さを体験し、4度目は医者も薬も絶って、食事で癌と戦っておられました。
サンフランシスコで流行っていたレストランを閉め、綺麗な水と空気を求めてマウントシャスタに引っ越されたのです。
そんなAyakoさんの経緯を知ったのは6年前に読んだ彼女のブログからでした。
まだ会ったこともない人でしたが、ブログの内容=マクロビや食事の大切さ・・に惹き付けられ、よくページを訪れていました。
マウントシャスタでレストランVivify を経営されていました。
1年半前に天国に旅立ってしまったけれど、今尚、私の心に鮮烈な光を残している方です。
4度の癌に侵され、Ayakoさん自身が食事の大切さを体験し、4度目は医者も薬も絶って、食事で癌と戦っておられました。
サンフランシスコで流行っていたレストランを閉め、綺麗な水と空気を求めてマウントシャスタに引っ越されたのです。
そんなAyakoさんの経緯を知ったのは6年前に読んだ彼女のブログからでした。
まだ会ったこともない人でしたが、ブログの内容=マクロビや食事の大切さ・・に惹き付けられ、よくページを訪れていました。
5年前に家族でマウントシャスタに行った時にVivify で食事をして、お料理の美味しさに感動しました。
3歳の息子に「お土産~」と言って手作りのお菓子を持たせてくれた優しい人柄にも惹かれました。
3歳の息子に「お土産~」と言って手作りのお菓子を持たせてくれた優しい人柄にも惹かれました。
4年前、Ayakoさんがサンフランシスコベイエリアでマクロビ・食養のよさを伝える為にバイオフードのお料理教室を開くことを知り、参加しようと決めました。
白いシェフのユニフォームが眩しいほど似合っていて、立っているだけで存在感のある人でした。
マクロビ初心者の私達に手取り足取りわかりやすく、簡単なレシピで数品目を教えてくれました。
そのテキパキとした動き。
作るのが速い。
でも美味しい。
すっかりAyako流バイオフードに嵌り、何度も教室に通いました。
白いシェフのユニフォームが眩しいほど似合っていて、立っているだけで存在感のある人でした。
マクロビ初心者の私達に手取り足取りわかりやすく、簡単なレシピで数品目を教えてくれました。
そのテキパキとした動き。
作るのが速い。
でも美味しい。
すっかりAyako流バイオフードに嵌り、何度も教室に通いました。
そのうちに意気投合し、我が家で教室を開いてくれることになり、 山の中までトラックで来てくれました。
道に迷って「シャスタよりも田舎やん~」と笑いながら玄関を入り、シャスタの水と沢山の材料を携えて12人の生徒の前で何品も作ってくださいました。
その時にキッチンの本棚にあった「自然療法」と言う本に興味を持たれ、「これ貸して~」と言って全頁をコピーして自然療法を実践されていました。
またオーガニックの梅干しを作っている梅おばあちゃんを助けようと、梅干し販売をされていました。
その販売を手伝って欲しいと頼まれ、ベイエリアの友達に情報を流し、私が中継点になったこともあります。
私の周りには共にお料理を学んだり、梅おばあちゃんの梅干しを買ってくれた友達も多くいます。
今考えると、最後になってしまったお料理教室で、きついハグをしました。
「また会えた・・」と言う嬉しさと、何故か「これが最後かも知れない・・」と言う悲しみが心の中で行き交い、お互いに涙で目が潤みました。
その時のAyako さんの顔が忘れられません。
その半年後(2年前の冬)、私の母が膵臓癌に侵された知らせを受け、ショックで何気なくAyakoさんにメールを書きました。
すぐに長い返事を送ってくださり「癌と戦う厳しさ」や「心の葛藤」などを教えてくれました。
同じ頃にAyakoさんのお母様も私の母と同じ病気を患っておられて、数か月間福岡に看病に帰ってられました。
お互いに日本に居て、「日本は寒いねえ~」なんて何度かメールを交換した時に、Ayako さんが「次の夢に向かって準備を進めている。」とおっしゃっていたので、何だろう?と気になっていました。
その半年後・2011年7月に「帰らぬ人となった・・」と娘さんが書いたご逝去をブログで知り、1人で大泣きしました。
Ayakoさんがいつも言ってた言葉。
*身体は食事から作られる
*食養から病気にならない身体を作る
2週間前、マウントシャスタから郵便物が届きました。
大きな封筒を開けると、中からお料理の本が出てきたのです。
著者 Ayako Kojima の名前を見たときに、涙が溢れ、わあわあ声をあげて泣きました。
Ayako さんのスピリットはまだ存在しているのだと感じ、ストン・・と心に落ちたことがありました。
「次の夢・・」と言うのは本を出版することだったのだ、と。
その本はAyako さんの娘さんが送ってくれたものでした。
「母の夢であった料理本がついに出版されました。
食の大切さを1人でも多くの人に届けたい。
病気にならない体作り
すでに病気と闘っている人は
少しでも元気になれるように
母のいろいろな思いが詰まった本です。
楽しんで頂けると幸いです。
私達家族を支えてくださってありがとうございました。
心より感謝を込めて」
本を開けると教室で習ったレシピや新しいレシピなど60品が綺麗な写真付きで掲載されています。
最後のページには、懐かしいAyakoさんの笑顔がVivifyをバックに写っていました。
その笑顔を見て、また号泣・・・
私は彼女のブログの1読者だったのに、ブログを通してご縁をいただき、知り合い、いろんなことを学びました。
彼女の強い生き方に感銘を受け、食事の大切さを認識し、これからの人生について考えさせらました。
Ayako さんの本を手に取って、「今、私が出来ること」を1つずつやってみようと思いました。
一部で公開していた日記をブログにしてもっといろんな人に読んでもらおう、と思えたのは、Ayako さんが背中を押してくれたからだと思います。
それまでにも友達から「一部だけなんてもったいない・・一般に公開したら?」・・と言われていたけれど、勇気がなく、躊躇してなかなか扉を開けられなかったこと。
ありがとう、Ayako さん。
あなたのおかげで一歩踏み出せました。
4 件のコメント:
Ayakoさんには、実は私も大変お世話になったんです。初めてお会いしたのは、やっぱりShastaのVivify。Lunch Specialに出されたOrganic Macrobiの小料理が大皿に綺麗に盛られていて、見て感動し、味わって感動し、友人達の中でも一際私一人が興奮し騒いでいました。そこへ彼女がいらっして、それぞれの小料理について説明して下さって…。その時、お料理教室を開催される事を提案し、切にお願いしたんです。そして、その年の冬場に積雪でBusinessがSlowになる頃、ご連絡戴いたんです。第一回目のお料理教室をSan Franciscoの自宅で開催する事にしましたと。その季節は確か3回位開いて下さり、3回とも主人と友人達を連れて参加しました。その時からです。食の大切さ、自然の恵みの有難さを痛感したのは。あと、一度だけHWY280に近いどなたかのお家でのお料理教室にも参加した事がありますが、まさかその時のお宅は、おさちさんのお宅…? 私も、Ayakoさんから強い影響を受けた一人なんです。去年、他界されたと知った時は、本当にShockで暫く呆然としてしまい言葉を失いましたが、彼女の生きられた人生に賞賛と喝采を贈らずにはいられない心境だったのを思い出します。人は、この広い宇宙に生まれ出て、限られた時間の中で、特別な互いの引力で、会うべき人とのみ会うのかしらという思いが、このBlogを通して強く感じました。
Ikukoさん
Ayakoさんをご存知だったのですね。私もサンフランシスコのお宅での教室にも行ったことがあります。初めて行ったのはPacifica。私の自宅では友達だけを招待しました。280沿いのお宅、San Mateo ですか?行きましたよ~ たぶん同じ場所だと思います。もしかしたらその時にお会いしていたかもしれませんね。
人との出会いは必然で全て意味のあることなんだと思います。最近特にそう感じます。
Sachikoさん
今日はお会いできて嬉しかったです。
そしてこちらのブログを読み感動いたしました。
母の事を思ってくれてありがとうございます。
ずっと本を出版するのが夢でした。母が他界した後、一時は出版しないと言われ諦めかけていたのですがここでも母の強い信念が届いたのか、夢は叶えられました。正直なところ、私はあまり見る事が出来ていません。次のページに進もうとすると涙が止まらなくて、色んな感情が邪魔をし本を閉じてしまいます。『何泣いてるの?早く読んで、料理しなさーい』と毎回天国から怒られている気がします。。。ダメですね、、笑
食を通じてさちこさんや多くの方々と出会う事ができた母は幸せだったと思います。辛い闘病生活の中、お料理教室や梅干しの販売をして母自身も助けられていたと思います。
さちこさん母を支えて下さって本当にありがとうございました。
しょうこ
しょうこさん
Ayakoさんが私達を結びつけてくれましたね。やっと・・
お料理教室でお逢い出来て本当に嬉しかったです。思わず涙ぐんでしまいました。
Ayakoさんが私達に残してくれたもの&導いてくれたことは計り知れないと思います。
私達の食に対する意識がとても変わりました。ここベイエリアではまだAyakoさんの魂(スピリット)は生きていると思います。
あの本を出版してくださって感謝です。最後のページのAyakoさんの写真を見ると、まだどこかにいらっしゃる気がします。
Ayakoさんがいなかったら、私のブログは存在していません・・
ありがとうございます。
Sachiko
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